連合赤軍

2017年 秋

今年もまた秋が巡ってきた。彼岸を過ぎると日没が一気に早まってあっという間に日が暮れて焦ってしまいそうだ。 秋の彼岸の時期が来ると、例年通り寺岡恒一さんの墓参と寺岡さんのお母様にお会いしてお参りしたいと思う。 今年も彼岸を過ぎた今日になってし…

春の日に

今年もまた春のお彼岸が巡ってきた。お彼岸より少し遅れて月末に 例年通り今年も寺岡恒一さんのお母様にお会いしようと思った。 その前にお墓参りをした。 桜の開花を期待して、桜並木を通ってお墓参りができるのを楽しみにしていた。 しかし今年は寒さが長…

岡目八目

囲碁の世界で「目(もく)」は、地の数や石の数を表す単位として使われる。 「岡目(おかめ)」とは遠くから見ている目という意味で「傍目」ともいう。 囲碁で対戦している2人は、勝負にこだわって自分の一手に集中しているが、その対戦を傍で見ている者の…

読書の秋に想う

今は読書週間である。 本を読んでいると、言葉では言い表せない心のどこかで 「求める何か」を感じることがある。 この「求める何か」を感じる本は、いわゆる名作といわれている小説であったり、娯楽の分野である推理小説であったり、エッセイであったりと、…

故人を偲ぶ

今日は素晴らしい秋晴れだ。 今までの長雨と天候不順を払拭するかのような雲一つない青空とすがすがしい秋の空気が気持ちよく感じた。 半年ぶりで寺岡さんのお母様にお会いした。 ご自宅の庭には柿の木が実をつけていた。 今年は当たり年ではないため、柿の…

懐かしい歳月の断片

今年も春のお彼岸の頃になり、寺岡さんに会いに ご自宅に向かった。 寺岡さんは去年の暮れにお顔に帯状疱疹ができたため入院していたそうだ。 今はもう治まってお元気そうなご様子だが、 時々通院しているそうだ。 お宅には週に一度、介護ヘルパーに来てもら…

秋の日に

今回も10月になってしまったが、この秋も寺岡さんのお母様にお会いすることができた。 お宅の庭の柿の木には柿がたわわに身をつけて、枝が垂れ下がっているのもあった。 2年前に雪野建作氏や連合赤軍の全体像を残す会のメンバーの方々と寺岡さんにお会い…

めぐる季節 春

昨年の10月以来、もう半年が過ぎた春のこの日に、墓参の後、寺岡さんにお会いした。 お宅のお庭の椿が綺麗に咲き誇っていて、 厳しい冬もやがては過ぎゆき再び春がやってくるのだと季節の移ろいを感じた。 聞くところによると、恒一さんの命日の頃に、 高…

いつかある日

「いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ…」 登山者の挽歌といえるようなこの歌の歌詞を 思い出すたびに、 連合赤軍事件のことを思い浮かべる。この歌詞を書いた人は、この歌の通り、 世界最高峰エベレスト登頂に失敗して 帰らぬ人となった。 …

1年の歳月

昨日、久しぶりに寺岡恒一さんのお母様に お会いした。 朝、どんより曇った空で雨が降りそうな空模様だったが、霊園に着いた時には薄日が射して暑いくらいの気温になった。 昨年、連合赤軍の全体像を残す会の皆さんと ご一緒した時のような爽やかな秋晴れと…

潮時 There is the tide

"There is the tide in the affairs of men, Which taken at the flood, leads on to fortune, Omitted, all the voyage of their life Is bound in shallows and in miseries." -W.Shakespeare- "Julius Caesar"(ActⅣ,SceneⅢ) 「人の行動には潮時というもの…

雪景色

昨日から明け方に積もった雪は、ここは東京かと疑うばかりの すさまじい積雪だった。 首都圏では交通機関が麻痺して運休する鉄道が多い情況だ。 雪で電車に閉じ込められてしまった不運なニュースを聞くと、 気の毒だがアガサ・クリスティの『オリエント急行…

寒さの中で

寒さには強いほうだと自負してきた私だが、 最近寒さが体に応えるようになってしまった。 それでも大寒を過ぎると日の入りが遅くなり、 夕方の5時でもほのかに明るくなってきて、 窓からは夕暮れの富士山のシルエットが茜色から藍色にぼかしのきいた色合い…

祖母の証言

東京都内でアパートを経営していた祖母は、 連合赤軍事件について詳しかった。 特に印旛沼事件のことは、祖母から聞いた。 印旛沼事件は、連合赤軍が辿ることになる悲惨な 結末の始まりであり、学生運動の成れの果ての始まりとも言える事件であった。 祖母は…

父親の連合赤軍とは

母親だけではなく父親にとっての連合赤軍事件とは どのようなものであったのか? 坂東國男の父親は、あさま山荘事件で人質を取って籠城する息子の犯行に悲観して、息子が逮捕される直前に自殺した。 吉野雅邦氏の父親も大企業の重役に就いていたが、息子が連…

母親の連合赤軍事件

映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』で 寺岡恒一役を演じた佐生有語氏は、 3年前に寺岡恒一さんのお母様とお会いした時、 「”母親の連合赤軍事件”を見た」と述べている。 10月27日に全体像を残す会の皆様も、寺岡恒一さんのお母様にお会いして、 母親…

作品は残る

ロシアの民話『石の花』の登場人物で、孔雀石の名工が、「人は死ぬが作品は残る」と 言う場面がある。 今は亡き思い出深い人が残した遺品には、生前の人柄が偲ばれる思いがするだけでなく、まるでその人に会っているかのような気持ちになる。 寺岡恒一さんの…

柿の木

10月27日に寺岡恒一さんのお母様を、連合赤軍の全体像を残す会の皆様とお伺いした際に、 寺岡さんの庭の柿の実を皆で取らせていただいた。 お宅の庭に入ったのはこの時が初めてだった。 庭には白いぜフィランサス(タマスダレ)の花も咲いていた。 恒一…

墓参に想う 歳月の重み

この日は、昨日までの台風とは打って変わって、 正に台風一過の青空に恵まれた。 寺岡恒一さんのお墓参りをするのは3月下旬以来のことだ。 この秋らしい青空に見守られて気持ちよく墓参ができそうだと期待した。 全体像を残す会の皆様よりもやや早目に着いた…

偶然

秋分の日の頃、寺岡さんをお訪ねしようと思っていたが、父のお墓参りや祖母の供養などで、9月下旬は 用事が重なった。 10月に入り、寺岡さんに連絡をしてみたところ、 下旬ならご都合がよろしいということで26日にお会いする予定にしていた。 雪野建作氏…

阿字の子

『連合赤軍の全体像を残す会』では、12月初旬に 山岳ベースで犠牲になったメンバーの宿営地と 埋葬地を巡る慰霊の旅をしたのだそうだ。 倉渕村では雪が降り、あさま山荘では氷点下の厳冬に凍えるような思いをしたそうだ。 事件が起こった時と同じ時期に現場…

過去と今

この春、寺岡さんにお会いした時、 杉崎ミサ子さんのことが話題になった。 寺岡さんは杉崎さんが恒一さんと組織上での 夫婦だったことを当然ご存知であろう。 前年に雪野建作氏にお会いした時のことを 思い出した。 寺岡さんがお元気でいらっしゃる時に、雪…

母のない子

学生運動が盛んだった当時の流行歌に 『時には母のない子のように』という歌があった。 作詞は寺山修司。 「時には母のない子のように だまって海をみつめていたい 時には母のない子のように ひとりで旅に出てみたい だけど心は すぐかわる 母のない子になっ…

答えは一つ

祖父は数学が得意で、学生の頃は数学の成績が いつもトップだったそうだ。 祖父が数学に魅力を感じたのは、数学の解の求め方は幾つもあるが、あらゆる方法で数学の解を求めても、いつもただ一つの答えに辿り着くところだ、と話していた。 私は連合赤軍事件に…

座右の銘

「他人の過ちは許すがよい、 但し自分の過ちは許してはならない」 この言葉は意外にも連合赤軍事件の主犯者、永田洋子が座右の銘にしていた言葉だそうだ。 何と立派な心がけだったのかと感心する。 しかし彼女は座右の銘にしていた言葉を意識しすぎたのだろ…

自責の念

中国映画『西太后』は、西太后の悪逆非道ぶりが 誇張されて描かれているが、その映画の中で、 自分よりも美しく長い手足を持ち、皇帝の寵愛を受けていた麗妃に嫉妬した西太后が、麗妃の手足を切断して甕に入れる場面がある。 映画の最後の場面で、甕に入れら…

桜の頃、墓参に想う

今日、久しぶりに寺岡恒一さんのお墓参りに行った。 今年は桜の開花が例年よりも早く、霊園の桜並木も満開だった。 あいにく霧雨が降って、どんより曇った空だったが、 それでも満開の桜は鮮やかで、見ごたえのある素晴らしい景色が眺められた。 ずっと霊園…

故人と共に生きる

「死者と共存し、死者と共に闘う」と、ある作家が書いていた。 思えば私も20年前に見た新聞記事に端を発して以来、 連合赤軍事件の亡き同志たちと、とりわけ寺岡恒一さんと共に 生きてきたように思える。 41年前の今日、連合赤軍大量リンチ殺人事件で犠牲に…

おくやみ

若松孝二氏がお亡くなりになった。 若松監督が映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』を 作成していただいたおかげで、それまで遮断していた接点が復旧しただけでなく、貴重な人たちとお会いすることができた。 私がこのブログを始めたきっかけこそが若松…

事実を残して潔しとする

事故や事件が起きた時、関係者にとって最も望むことは事件や事故の真相であろう。 あの時あの場所で何が起こったのか、 ありのままの事実を知りたいと願うであろう。連合赤軍事件において、事件の当事者や関係者らが口をつぐんで真実を語ろうとしなかったり…