2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

あさま山荘 父と子 

「T君の死を知らぬ父上の呼掛けを 籠城の吾ら俯(うつむ)きて聞く」 坂口弘『歌稿』 この「T君」とは寺岡恒一のことである。 1972年2月19日に、軽井沢にある「あさま山荘」に、連合赤軍と思われる過激派数人が、人質をとって立てこもる事件が起きた。 山…

あさま山荘への道

1972年のこの日、 あさま山荘猟銃人質事件が起きた。 奇しくも1993年の同じ日に最高裁判決で、 連合赤軍の最高責任者であった永田洋子と坂口弘に死刑判決が確定した。 永田洋子は「判決文の短さに驚いた。 何も検討していないし肩すかしの感がする。最高裁に…

湖畔の宿で

1994年2月の榛名湖は、スケート客やワカサギ釣りの客でにぎわっていた。 前回訪れた紅葉の景色とは打って変わって雪に閉ざされて厳しい表情の榛名山が前方に見えた。 あの山の裏側に、残酷極まりない凄惨な犯行現場があったのかと、身震いする思いがした。 …

再び、榛名山へ

私が初めて連合赤軍事件について知り、寺岡恒一について 知ることになった翌年の2月に再び榛名湖へ行き、榛名山の 管理人の丸岡さんご夫妻とも再会した。 ちょうど今から17年前のことだった。 丸岡さんは前回の10月24日にお会いした時のことを覚えていてく…

2月に想う

「時代は変わっても、何も変わらない。」 佐生有語氏のコメント 映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』 映画監督の若松孝二氏は、連合赤軍による一連の事件の落とし前をつけるために、映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』を製作した。 出演が決ま…

神の落とし前

昨夜、連合赤軍大量リンチ殺人の主犯者である永田洋子が、明後日の2月8日の誕生日を待たずに死去した。 脳腫瘍による合併症だった。享年65歳。 1972年のちょうど今頃、山岳ベースアジトで連日連夜 激しいリンチが行われ、執拗で残虐な手口で多くの命が 奪わ…

春節の頃

立春は、暦の上ではもう春になる。 確かにこのごろ日没が少し長くなり、夕方の5時でも明るくなってきた。 陽射しも幾分強くなってきたように感じる。 「春節の頃に肉親を思う」と、よく中国人は言う。 中華圏の人々は、春節と呼ばれる旧正月が一年で最も重要…