祖母の証言

東京都内でアパートを経営していた祖母は、
連合赤軍事件について詳しかった。
特に印旛沼事件のことは、祖母から聞いた。
印旛沼事件は、連合赤軍が辿ることになる悲惨な
結末の始まりであり、学生運動の成れの果ての始まりとも言える事件であった。
祖母は事件で命を奪われた二人が可哀想で、とりわけ早岐やす子さんが可哀想だと
話していた。
寺岡恒一も吉野雅邦らと印旛沼事件に関与していた。


祖母はこうも言った。
「人を殺して平気でいられるはずはない。殺した人はきっと自分のしたことが恐ろしくて、いつもおびえて生きていたに違いない」と。
印旛沼事件の全容が解明される決め手となったのは、吉野雅邦氏の自供だった。
連合赤軍で犠牲となった12人の遺体が発見されてから約一週間後の彼岸の頃に、
それまでの強硬な態度を一変させ、犯行に及んだいきさつを包み隠さず語り始めた。
印旛沼事件の実行犯役だった矢吹恒一も、時には良心の呵責に目覚めて
寺岡恒一に戻ることもあったのだろうか?


祖母は大量リンチ殺人事件についても、「雪に閉ざされた山の中で隠れるように暮らしていたら、組織のやり方に疑問を持つそぶりを見せただけでも皆に裏切り者だと疑われてしまうのだろう」と言っていた。
山岳ベースアジトで仲間が次々と些細な私情で命を奪われていくのを目の当たりにした矢吹恒一が我に返り、寺岡恒一に戻ろうとした時に命を絶たれたのではないかと思う。

「あの事件があった頃は、新聞を開くのが怖くていやだった」と話していた祖母も連合赤軍事件の犠牲者と共に生きてきた人であったのだと思った。