故人と共に生きる

「死者と共存し、死者と共に闘う」と、ある作家が書いていた。
思えば私も20年前に見た新聞記事に端を発して以来、
連合赤軍事件の亡き同志たちと、とりわけ寺岡恒一さんと共に
生きてきたように思える。
41年前の今日、連合赤軍大量リンチ殺人事件で犠牲になった寺岡恒一さんは、犠牲者の中で一番最後に地上に救出された。
群馬県倉渕村で惨殺体となって発見された遺体は、群馬大学医学部による検死解剖が行われた。
その無残な姿の恒一さんと対面しなければならなかった御両親の心中を察するに余りある。
次々と明るみに出る残忍極まりない犯行の数々…
この修羅場のような現状を事実として受け止めなければならなかった事件関係者、特にご遺族の方々の心情は察するに余りある。
「あの事件のことを忘れたことはない」と、おっしゃっていらした寺岡恒一さんのお母様の言葉が今も重く心に響いている。
連合赤軍事件で生き残った人たちや、あの当時学生運動に邁進してきた人たちにとっても決して忘れることなどできない事実であろう。
私は部外者だと言われてしまえばそれまでだが、それでも私は連合赤軍事件で犠牲になられた亡き同志たちと共に生き、その心境を共に感じていきたいと思って止まない。