母のない子

学生運動が盛んだった当時の流行歌に
『時には母のない子のように』という歌があった。
作詞は寺山修司


「時には母のない子のように 
 だまって海をみつめていたい
 時には母のない子のように ひとりで旅に出てみたい
 だけど心は すぐかわる
 母のない子になったなら だれにも愛を話せない」


この歌詞の「母」には、母親というよりもむしろ「母国」、「母校」、「母国語」、「母港」、
「母なる大地」などの「母」のつく言葉を思い浮かべる。
そして「母のない子」とは、母親がいようとなかろうと、親元や故郷や帰るべき所のない人、もしくは心のよりどころのない人、あるいは生きる母体となる人間性を失った人を意味しているように思う。
何とも言えない心寂しく物悲しい、そして世を憂いているようなむなしくやるせない歌詞が、あたかもあの当時の学生運動に邁進していた若者たち、とりわけ連合赤軍のメンバーになぞらえているように感じる。

あの当時学生運動に身を捧げた若者たちは母校を去り、親元を離れ、故郷を捨てて活動の組織に入り、世の中を自分たちの手で良い方向に導こうと一心不乱に活動した。
「だけど心はすぐかわる」…そう、世の中は全て諸行無常だ。
学生運動の全盛期には、デモの影響で政治がよい方向に動こうとしたこともあった。
しかし次第に過激な武力闘争に頼ろうとする暴徒と化し、破滅へと追い込まれ

消滅していった。
あさま山荘に籠城した連合赤軍には必死で呼掛ける母の声が聞けなかった。
事件当時の新聞に「親子もない、兄弟もない、夫婦もない」という見出しがあった。
組織の中では親兄弟や夫婦の関係を否定する冷酷非道な大量リンチ殺人が行われた。
「母のない子になったなら だれにも愛を話せない」…帰るべきところや心のよりどころとなるべきものを失ったら、血も涙もない殺伐とした人間になってしまうだろう。
連合赤軍事件を思うたびに決まってこの歌がいつもBGMのように脳裏に流れてくる。
彼らの心の叫びのように聞こえてくる。

DREAM PRICE 1000 カルメン・マキ 時には母のない子のように

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