阿字の子

連合赤軍の全体像を残す会』では、12月初旬に
山岳ベースで犠牲になったメンバーの宿営地と
埋葬地を巡る慰霊の旅をしたのだそうだ。
倉渕村では雪が降り、あさま山荘では氷点下の厳冬に凍えるような思いをしたそうだ。
事件が起こった時と同じ時期に現場を訪れると、
よりいっそう事件当時のことが生々しくよみがえってくるように感じる。
私も2月に榛名湖管理事務所の丸岡和平氏を訪ね、寺岡さんと遠山さんが事件の慰霊の際の常宿にしている旅館に泊まったことを思い出した。
あの時私は、厳冬の山岳アジトで事件を起こした連合赤軍の心情に迫りたいと思った。

雪野氏から、倉渕村にある慰霊碑「阿字の子」の写真を送っていただいた。
私が倉渕村を訪れた時には、「阿字の子」の慰霊碑まで辿り着けなかっただけに、
写真を見せていただいて、正に感無量である。
『全体像を残す会』では、この春には印旛沼事件の慰霊の旅もしたそうだ。
印旛沼事件では寺岡恒一も事件に関与していた。
寺岡恒一は無言の証人だが、もし生きていたら、果たして事件後の吉野雅邦氏のような「総括」ができただろうか?
彼岸の今、色々な思いが交錯する。