2011-01-01から1年間の記事一覧

diamond dove  ウスユキバト

地震のショックから立ち直れない私は鳥ブログをよく見る。中でも大阪のかたのセキセイインコのブログは面白くて癒される。 先の巨大地震の際には、大阪でも震度3の揺れを感じたそうだ。地震はいつ起こるか分からないだけに、不安な日々を過ごしている。 そ…

光明

連合赤軍の寺岡恒一が、幹部でありながら 分派主義と言われて「総括」され、 リンチで命を奪われた一因が、生後間もない乳幼児を持つ活動家夫婦を最高幹部の永田洋子に無断で仲間に加えたことにあった。 榛名湖管理事務所の丸岡和平さんも、 この幼女を一時…

地震

昨日、東北地方で強い地震があった。 被災されたかたには心からお見舞い申し上げます。 私もおばの家族が岩手県の久慈市に住んでいるが、幸い無事だった。 自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。 今、こうして普通に生活できることを感謝している。

time and tide…

あさま山荘事件において、息子が犯人グループの 一味として立てこもっているものと思い、 「最後まであきらめないで抵抗するのが日本人の特徴だ。しかし、時には潔く断念する勇気も必要だ」と、 必死で説得した寺岡一郎氏… せめてご存命のうちにお会いしたか…

あさま山荘 父と子 

「T君の死を知らぬ父上の呼掛けを 籠城の吾ら俯(うつむ)きて聞く」 坂口弘『歌稿』 この「T君」とは寺岡恒一のことである。 1972年2月19日に、軽井沢にある「あさま山荘」に、連合赤軍と思われる過激派数人が、人質をとって立てこもる事件が起きた。 山…

あさま山荘への道

1972年のこの日、 あさま山荘猟銃人質事件が起きた。 奇しくも1993年の同じ日に最高裁判決で、 連合赤軍の最高責任者であった永田洋子と坂口弘に死刑判決が確定した。 永田洋子は「判決文の短さに驚いた。 何も検討していないし肩すかしの感がする。最高裁に…

湖畔の宿で

1994年2月の榛名湖は、スケート客やワカサギ釣りの客でにぎわっていた。 前回訪れた紅葉の景色とは打って変わって雪に閉ざされて厳しい表情の榛名山が前方に見えた。 あの山の裏側に、残酷極まりない凄惨な犯行現場があったのかと、身震いする思いがした。 …

再び、榛名山へ

私が初めて連合赤軍事件について知り、寺岡恒一について 知ることになった翌年の2月に再び榛名湖へ行き、榛名山の 管理人の丸岡さんご夫妻とも再会した。 ちょうど今から17年前のことだった。 丸岡さんは前回の10月24日にお会いした時のことを覚えていてく…

2月に想う

「時代は変わっても、何も変わらない。」 佐生有語氏のコメント 映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』 映画監督の若松孝二氏は、連合赤軍による一連の事件の落とし前をつけるために、映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』を製作した。 出演が決ま…

神の落とし前

昨夜、連合赤軍大量リンチ殺人の主犯者である永田洋子が、明後日の2月8日の誕生日を待たずに死去した。 脳腫瘍による合併症だった。享年65歳。 1972年のちょうど今頃、山岳ベースアジトで連日連夜 激しいリンチが行われ、執拗で残虐な手口で多くの命が 奪わ…

春節の頃

立春は、暦の上ではもう春になる。 確かにこのごろ日没が少し長くなり、夕方の5時でも明るくなってきた。 陽射しも幾分強くなってきたように感じる。 「春節の頃に肉親を思う」と、よく中国人は言う。 中華圏の人々は、春節と呼ばれる旧正月が一年で最も重要…

科学者の証言

連合赤軍事件当時、私は小学生だった。 事件の記憶はほとんど無く、ただどこか山の中で 恐ろしいことがあったらしい、というあいまいな記憶 だけだった。 連合赤軍事件について初めて知ったのは大学生の時、恩師の川島四郎教授(生物学)の講義の中でのこと…

検察側の証言

連合赤軍の主導的立場にあり、大量リンチ殺人事件の主犯者である永田洋子を取り調べるため群馬県警だけでなく検察からも取調官が着任した。 先の検事総長だった松尾邦弘氏は1972年当時、29歳の検察官であった。 松尾氏は、1972年4〜5月に前橋市内の宿泊先か…

時効なき犯罪

「リンチで殺された寺岡恒一君は弟の高校の同級生だった。 家にも遊びに来た。 母は狂乱状態だったし自分も食事をしていると吐き気がした。」 元べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)井上澄夫氏の コメント 寺岡恒一さんは、中高一貫校の進学校を卒業した。…

真の勇気

「今ぼくに必要なのは、真の勇気のみです。」森恒夫『遺書』 1973年1月1日に東京拘置所で連合赤軍の最高幹部の 森恒夫が自殺した。享年28歳。 1年前の2月に永田洋子と共に逮捕されて以来、 12名の仲間を凄惨なリンチで殺害した罪で、 今度は森自身が国の法律…

1年の計

新年 おめでとうございます。 今年はどんな年になるのだろうかと 思いをめぐらしている。 今やっておきたいことをして、 会っておきたい人にはできるだけ 会いに行きたい。 そして何よりも健康第一で過ごせたらいいと思っている。