光明

連合赤軍の寺岡恒一が、幹部でありながら
分派主義と言われて「総括」され、
リンチで命を奪われた一因が、生後間もない乳幼児を持つ活動家夫婦を最高幹部の永田洋子に無断で仲間に加えたことにあった。
榛名湖管理事務所の丸岡和平さんも、
この幼女を一時保護したそうだ。
幼女の父親はリンチで殺され、母親は殺人と死体遺棄の罪に問われた。
幼女は母親がアジトから逃亡したため、連合赤軍のメンバーで看護士の中村愛子が連れだした。
自首するつもりだった中村愛子が榛名湖管理事務所に現れて、管理人の丸岡さんに交番はどこかと尋ねてきた。丸岡さんは、着の身着のまま出てきたような不自然な様子の二人が、家出の親子かと思い、警察に通報したそうだ。
中村愛子は逮捕され、幼女はしばらく榛名湖管理事務所で預かった。
寺岡恒一は1972年3月13日に、犠牲者の中で一番最後に遺体で救出された。
くしくも同じこの日に幼女を診察したのは、寺岡という名の医師であった。
連日凄惨なリンチで12人の仲間の命を奪い、中には妊娠8ヶ月の女性までも
歯が折れるほどの強烈な暴行を加えて虐殺するような、極悪非道と言われた連合赤軍も、この幼女には手をかけず無事であったことがせめてものなぐさめになった。
丸岡さんも、連合赤軍事件の前年の11月に榛名山で見かけた坂口弘を警察に通報しなかったことが悔やまれて、自責の念を感じていたが、幼女を無事に保護したことが何より嬉しく、ひとすじの光明を見た思いがしたと話していらしたことを、今でも印象深く心に残っている。