再び、榛名山へ

私が初めて連合赤軍事件について知り、寺岡恒一について
知ることになった翌年の2月に再び榛名湖へ行き、榛名山
管理人の丸岡さんご夫妻とも再会した。
ちょうど今から17年前のことだった。
丸岡さんは前回の10月24日にお会いした時のことを覚えていてくださった。
丸岡さんは最初、私がただの興味本位で事件現場をのぞきに来ただけだと思ったらしいが、私が黒衣を身につけ、事件の犠牲者を追悼するために般若心経と線香を携えて
倉渕村の蓮華院のご住職に会いに行くことを知り、私があの連合赤軍事件を真剣に
受け止めていると感じていただけて嬉しかった。
連合赤軍榛名山アジトで凄惨なリンチを繰り返した真冬に事件現場を訪れて、少しでも亡くなられた若者たちの心境に迫り、追悼したいと思った。
真冬の榛名湖周辺は、スケート客やワカサギ釣り客でにぎわっていて、この山の裏側で、17年前に悲惨な事件が起きたことが信じられなかった。
連合赤軍事件当時、丸岡さんが榛名山周辺に異変を感じたのは2月中旬ごろであったという。
当時、榛名山は雪深く、そのような時に不自然な様子をした若者たちが多く出入りをしているのを見かけた。
周辺では木を伐採した後があり、近くの小川には大量の排泄物や汚物が散乱していた。
丸岡さんは、この近辺で何者かが大勢で無許可で山林を荒らしていると思って警察に通報し、捜査官らと共に山を案内し、捜査に協力した。
その時積雪が人の腰のところまであったそうだ。
雪を分け入って山道を進んだ先に燃え残った山小屋の支柱を見つけた。
連合赤軍はアジトを焼き払って逃げた後だった。
あさま山荘人質事件が起きたのは、それから間もなくの2月19日のことだった。
丸岡さんご夫婦も、雪の中をリュックサックを背負った学生風の男女を時々見かけたそうだ。今思うとあれが連合赤軍のメンバーだった気がすると話してくださった。
皆ごく普通の大学生のようであって、まさかあのような恐ろしい殺人を犯すような人たちには見えなかった、とおっしゃっていた。
丸岡さんご夫妻のお話を聞かせていただくたびに、連合赤軍事件当時の様子が生々しく再現されて、私自身がまざまざと事件現場を見ているかの錯覚に陥り、残酷な事実に凍りつく思いがしたことを、今でもはっきり記憶に残っている。
丸岡さんご夫妻とはもうお会いすることができない。
もっと早く、私の連合赤軍に関する文章をまとめていればよかったと、
今になってあらためて後悔と名残惜しさで胸が詰まる思いがした。