検察側の証言

連合赤軍の主導的立場にあり、大量リンチ殺人事件の主犯者である永田洋子を取り調べるため群馬県警だけでなく検察からも取調官が着任した。
先の検事総長だった松尾邦弘氏は1972年当時、29歳の検察官であった。
松尾氏は、1972年4〜5月に前橋市内の宿泊先から毎日車で1時間かけて群馬県警の松井田署に通ったという。
山岳ベースアジトに集結した連合赤軍29人のうち、1972年2月半ばまでの、わずか2ヶ月足らずの間に、榛名山アジトで8人、迦葉(かしょう)山アジトで3人、妙義山アジトで1人の、合計12人が「総括」と呼ばれた激しいリンチで殺された。
その残虐性に捜査員らも正気を失いかけた。
主犯者の永田洋子は雑談には応じるものの、犯行に関しては黙秘を続けていた。
それでも松尾氏は問いかけを続けた。
「なぜ仲間を『死刑』といって殺したり、『総括』といって死まで追いやったりしたのか」
「殺された人たちは人間としてすばらしい面を持っていたのではないか。
あなたから見て、どうしても殺さなければならなかった人だったのですか」と、
主に殺害の動機や理由について問い続けた。
取調べ中、永田が名作と呼ばれた本をほとんど読んでいないことを知った松尾氏は、
「名作は人間を深く掘り下げている。あなたたちは人生経験が少ないのだから、
小説から学ぶことは非常に多いのではないか」と語りかけた。
取調べは警察と半日ずつ交代で行われた。
群馬県警の取調官は、前年に起きた連続女性殺人事件の大久保清を取り調べた人
だったそうだ。そのかたは取調室に小さな仏像を持ち込んでいた。
自ら手を合わせ、永田洋子にも「拝むように」と言った。
大久保清を自供させるのに効果があったから」と説明したそうだ。
松井田署は山の中にあり、空気も澄んだ静かなところだった。
夕方になると近くのお寺から鐘の音が1回鳴り響いたが、途中から2回になった。
鐘の音は聞いた人を感慨深い思いにさせるというので警察がお寺に頼んで2回にしてもらったそうだ。
松尾氏は当初、強硬な態度で黙秘を続ける永田洋子には、こうした効果は期待できないだろうと思っていたが、ついに自供をはじめたという。
こうした一連の松尾邦弘氏の証言から、人間性を問いかけるのに、神仏の効力の偉大さや、人格形成において、洋の東西を問わず名作を読むことの大切さが切実に伝わってきて、こちらも大いに共感を覚え、感銘を受けた。