大寒に思う

連合赤軍の幹部であり、1月15日頃に命を絶たれた寺岡恒一は、高校時代に自分の性格について、長所は「真面目」、短所は「消極的」と自己分析している。
当時の高校の校長先生は「あのような何も問題のない学生はめずらしい」と言っている。
恒一さんのお母様は、恒一さんのことで苦労した覚えはなかったとおっしゃっていらした。
大学で活動家の先輩に賛同し、京浜安保共闘という組織に加入して中心的役割を担うようになった寺岡恒一は、強盗傷害事件や組織を脱退した元メンバーの殺害事件など凶悪な犯罪にも手を染めていった。
もし生き残っていたら、国の裁判で厳しい判決が下されていたかもしれない。
しかし寺岡さんの親御さんにとっては、やはりどんな状況になろうとも生きて罪を償ってほしかったと願ったことであろう。
1月21日は寺岡恒一さんの誕生日である。
1月は寺岡恒一さんの誕生月であり命日の月でもある。
高校時代の友人たちが今でも恒一さんの命日の頃に墓参にいらっしゃるそうだ。
大寒の頃に、どのような思いを馳せているのだろうか。
私はこの頃になると言葉で表現しつくせないほどの重みを感じる。