同志の証言 

先日お会いした雪野建作氏は、寺岡恒一さんの大学の同級生であり親友でもいらした。
お会いすることになった時は
首尾よくお目にかかれるか
不安だったが、あの当時の
写真の面影がそのまま残っていらしたので、すぐにお会いできた。

雪野氏は寺岡恒一さんと学生運動や社会活動を共にしたかたである。
寺岡恒一さんは軍事組織の責任者として活動をしていたそうだ。

雪野氏は、『優しい性格に鞭打って闘った、寺岡恒一さん』と題して追悼の文章を
残している。その中で、特に印象的な記述がある。


「彼は必ずしもそういった荒々しいことに向いた性格じゃないのでは
ないかな、植垣君などを見てますと、ちょっと違うなという印象を
受けるのです。非常に優しい性格だったのではないかと思うんですね」
「彼は自分に鞭を打って一生懸命やった。
その中でこんなことになってしまったと考えています。」
『証言 連合赤軍−2− 彼らはいかに生きたか』(2003年2月23日)
連合赤軍殉難者追悼の会−かれらは如何に生き、如何に闘ったか−


寺岡恒一さんの素顔が見えてくるようであった。
「あんなやさしい子がどうして…」と絶句した恒一さんのお父様の言葉や、以前お母様からいただいた書簡の中で恒一さんについて「小鳥を愛し、花を愛する心優しい青年が、あのような激しいことをするとは思いもよらないことだった」と書かれていたことを思い出した。
軍事組織の責任者、矢吹恒一として活動していた時でも、優しい性格の寺岡恒一の素顔が表れることもあったのではないかと思った。
寺岡恒一さんは山岳ベースでの卑劣な「総括」に嫌気がさして、幹部としてそれを止めようとして命を奪われたのではないかと思われる。
雪野氏は連合赤軍事件の前年に逮捕され、後日収監先で
寺岡恒一さんの死を知らされた時、「それから半年位して、
彼が総括の中で殺されるという報道を見て、その時は本当に、
考えられないような衝撃でした。」と書いている。

雪野建作氏にお会いして、数々の貴重なお話しを聞かせて
いただくうちに、雪野氏は寺岡恒一さんの親友でもあり、
同じ志を誓い合った盟友だったのかもしれない、と、
思いを馳せた。