40年の重み

デパートで群馬県の物産展が開催されていた。
その中に「水沼うどん」を販売しているコーナーがあった。
あの倉渕村の特産品だとすぐに分かった。
販売員は倉渕から来たそうだ。
倉渕村は今では高崎市に併合されて村から町に変わったそうだ。
連合赤軍事件で12名の犠牲者の遺体が埋められていた場所は、奇遇にも倉渕村十二塚という地名だった。
私は販売員に、十二塚という地名をたずねてみたが、
知らない様子だった。
連合赤軍事件のことはご存知のようだがあまり詳しいことはわからないようだった。
私は連合赤軍事件の12名の犠牲者の合同葬儀を行った蓮華院のことを思い出して、
お寺さんに尋ねてみたところ、あの当時合同葬儀を執り行ったご住職の春原賢弘氏は、
もう4年前にお亡くなりになられたそうだ。
もっと早くお会いして、あの当時のお話をお伺いしておけばよかったと、
後悔の念を感じた。

榛名町役場で、連合赤軍事件に詳しい人がいるからと紹介されて、榛名湖管理事務所を訪ねてお会いした榛名山管理人の丸岡和平さんも、ご存命だが重篤な病気のため、
もうお会いできない。
寺岡さんと遠山さんが常宿にしていた榛名湖畔の旅館の女将さんも高齢のため引退したという。
連合赤軍事件から40年という歳月の重みを感じて止まない。