視点と論点

連合赤軍の幹部であった寺岡恒一さんの弟様は
成田闘争に参加したそうだ。
寺岡さんのお母様は、恒一さんを凄惨な手口で命を奪われ、その上弟様まで同じように過激な活動の果てに命を絶たれるのではないかと悲観したそうだ。
学生運動が盛んだった当時、私は小学生だったが、連合赤軍事件や成田闘争についての記憶はほとんど無かった。
しかし高校の時、倫理社会の授業で先生が成田闘争の話をしたことがあり、
当時の空港反対運動が激化していたことを知った。
それより授業で関心を持ったのは成田闘争そのものではなく、ある事件において、
立場が変わると物事の観点が大きく異なってくることに気づいたことだった。


授業で先生は2枚の写真を見せて説明した。

1枚目の写真は空港建設に反対する地元住民と過激派グループが、鉄パイプや火炎瓶を投げて、機動隊に向かって激しく攻撃しているところを撮影したものであった。
2枚目の写真は、機動隊がジュラルミンの盾で反対住民や活動家らを押し倒し、抵抗する反対派を棍棒で殴りつけて無理やり連行していく様子が写っていた。

1枚目の機動隊側から撮影した写真を見ると、反対運動を阻止しようとする機動隊員らに容赦なく火炎瓶を投げつけ、集団で鉄パイプで襲いかかる過激派グループの非常に凶暴で傍若無人な態度は許せない行為だと映るであろう。

2枚目の、活動家側から撮った写真は、空港建設の反対運動をしている過激派グループに向けて、ジュラルミンの盾で活動家たちを押し倒し、棍棒で殴りかかって無理やり引きずりながら連行していく機動隊員の様子は、反対運動を暴力で封じ込めようとする理不尽で腹立たしい行為だと映るであろう。

物事の視点が変わると、それまで見えなかったことや考えられなかった事実が見えてきて、考え方も変わってくるものだということが分かった。
成田闘争という場面が、視点を変えてみると全く異なった見解になることが分かり、
一方だけでなく多方面の意見や主張を聞いてみることで、物事が客観的に見えてくるのだということを習った。

連合赤軍事件においても、様々な立場の人たちの意見を聞く機会があると、もっと色々な面から見た事実が分かってくるような気がする。
特に寺岡恒一さんのような今は亡き無言の証人や、そのご遺族の方々の心情、
今は事実を語る情況ではない沈黙の証人と言うべき人たちの思考を感じ取ることが
できたら、また新たな視点から連合赤軍事件についての実像が見出せるように思えて
ならない。