三猿

日光東照宮に三猿と呼ばれるレリーフがある。
「見ざる、聞かざる、言わざる」になぞらえたものだ。
これは子育ての過程における教訓を意味しているという。
つまり子どもに有害なものを見せたり聞かせたり言ったりすべきではないという教えが込められている。
今思うと、私が一連の連合赤軍事件について一切の記憶がなかったのは、両親や周りの大人たちが、あのような残忍極まりない事実を、当時小学生だった私に見せたり聞かせたり話したりしなかったからだと思った。
まだ年端もいかない子どもにとって連合赤軍事件は凶悪で残酷で、子どもの人格形成において悪影響を及ぼす恐れがあるから事件の一切の情報を消去していたようだった。
私が最初に連合赤軍事件を知ったのは、大学での川島四郎教授の講義でのことだった。
医師であり科学者であった川島教授は連合赤軍事件の検察側の捜査にも協力していた。
川島教授はこの事件の持つ異常なまでの残虐性に着目し、その原因として彼らがビタミンやミネラルが極端に欠乏した食生活を送っていたことを指摘した。
ビタミンやミネラルが欠乏すると思考能力が低下して、疑心暗鬼や精神不安から
凶暴で残忍な行動をとる危険性が高まった結果、連合赤軍事件のような稀に見る
残虐極まりない犯行を引き起こす結果となったと分析した。
私はこのとき初めて連合赤軍事件があったことを知ったのだが、その時はまだ事件について具体的に知ろうとは思わなかった。
連合赤軍事件から21年後の最高裁判決で、永田洋子坂口弘に死刑判決が確定した時、何気なく開いた当時の新聞記事のダイジェスト版で初めて事件を実際に目にしてから、本格的に事件について調べ始めた。
あの時、新聞記事で寺岡恒一の顔写真を見ることがなかったら、私は生涯連合赤軍事件を知らずに一生を終えていたかもしれない。
人の出会いや繋がりは実に深遠なものであり何と不思議なものであるのかと、

特に連合赤軍事件において、何か自分自身ではどうにもならない決定的な運命のようなものを常に意識して、意味深い思いを抱いている。