あさま山荘の因果

人の巡り合せは時として非常に奇異なことがある。
まるで神様が仕組んだシナリオのようにも思える
出来事がある。
そのひとつが、あさま山荘の管理人と連合赤軍との運命の出会いである。
連合赤軍による、あさま山荘人質事件で、
人質となった山荘の管理人は、事件の被害者であり、重要な証人でありながら

一切ノーコメントを貫いている。それには理由があった。
あさま山荘の管理人も逃亡者だった。
九州で勤め先の公金に手をつけ、駆け落ちして実家がある長野県に逃亡し、
あさま山荘の管理人の職を得た。
これでうまく逃げおおせることができたと思っていたが、そうはいかなかった。
1972年2月19日、連合赤軍を名乗る5人の過激派がライフル銃を構えて、あさま山荘
なだれ込んできた時、管理人はついに警察が自分を業務上横領罪で逮捕しに来たのだと思った。しかし彼らもまた警察の追跡をかわしてきた逃亡者であった。
あさま山荘の中で逃亡者同士の取引があった。
坂口弘連合赤軍は、管理人に中立の立場でいるように要請した。
管理人は坂口らに、もし裁判になった時には、自分を裁判には呼ばないでほしい、と
取引した。
やがて事件が解決して、犯人逮捕と同時に管理人も解放された。
その時のマスコミに対するインタビューで、管理人は犯人グループを「5人とも紳士的で、いい人たちだった」と述べた。
銃を行使した武力闘争の果てに、多くの死傷者を出した恐るべき凶悪な犯人グループのことを「いい人だ」と、かばうような発言をされた警察側があわてて、管理人と取引した。「あなたの過去の問題を全部消してあげるから、マスコミには一切出てはいけない」と封じ込めた。
九州から罪を逃れて、あさま山荘に身をひそめて生きてきた管理人が、
日本中を震撼させる凶悪な事件に巻き込まれ、皮肉にも日本全国に自分の存在が
知れ渡ることになろうとは、何と因果な巡りあわせなのだろうか。
あたかも神様が強烈なスポットライトを浴びせたようにも思える事実である。
あさま山荘の管理人は高飛びして長野に来てからは、真面目に職を探し、
あさま山荘の主人に何度も頭を下げて管理人にしてもらい、
食事を提供できるように調理師の資格も所得していた誠意ある人でもあった。
今、どこかで真っ当に生きていることを祈る。