ハロウィーン・パーティー


最近ハロウィーンが注目されていて、日本でこれほど多くの人々に浸透するとは意外なことだと感じている。
私がハロウィーンについて知ったのは、中学生の時の英語の教科書の中でのことだった。
その当時、日本では知られていない遠い国の面白そうなイベントの日だと思った。
それから、アガサ・クリスティ推理小説に夢中だった高校時代に再びハロウィーンについて知ることになった。
子供たちが参加するハロウィーン・パーティーの様子が詳しく描かれていて

本場のハロウィーンがどのようなものか知ることができた。
今週は読書週間でもあるから、アガサ・クリスティの『ハロウィーン・パーティー』という
作品を読んでイギリスの伝統文化を読んで味わうのもよさそうだ。

事件が起こる背景もちょうど晩秋の今頃、子供同士の会話から過去の殺人事件が絡む複雑怪奇な感情が漂い、晩秋のうら寂しい情景と相まって、正にハロウィーンの世界に引き込まれていくような印象深い作品だと思った。

この作品のDVDもあるから、手軽に楽しむこともできる。
過去と現代の殺人事件を照合して解決するポワロの登場も大いに楽しめる作品である。
ハロウィーンには是非この『ハロウィーン・パーティー』を読みたいものだ。

故人を偲ぶ

今日は素晴らしい秋晴れだ。

今までの長雨と天候不順を払拭するかのような雲一つない青空とすがすがしい秋の空気が気持ちよく感じた。
半年ぶりで寺岡さんのお母様にお会いした。
ご自宅の庭には柿の木が実をつけていた。
今年は当たり年ではないため、柿の実は少なめだそうだ。
寺岡さんはご高齢ながらもお一人で生活していらして、感心するばかりだ。
週に1日だけ介護ヘルパーの方に清掃などを手伝ってもらっているそうだ。
1日誰とも話すことがない日もあるため介護の方が来て話をするのも楽しみのようだ。
今日もあまり事件のことには触れずに日常の何気ない会話を楽しんだ。
寺岡さんはもう遠山さんとは音信不通になってしまったそうだ。
それに事件に関する人たちとも情報も連絡も途絶えてしまったらしい。
それでもお墓参りに行ったときにお線香を見かけることがあると、
誰かがお参りしてくれたらしくて嬉しく思うそうだ。
また、雪野建作氏らが今でも「連合赤軍の全体像を残す会」を続けていることも、
事件のことを忘れずにいてくれてありがたいと思っていると話していた。
今日は恒一さんの月命日でもある。まだご自宅にいらしたときにはどんな日々を過ごしていたのだろうかと思いを巡らせた。

人は2度死ぬという。1度目は自身の肉体が死んだ時である。
亡くなった後に遺族や故人を知る人の心の中で生き続けている。
しかし誰からも忘れ去られ、思い出して偲んでくれる人が誰もいなくなった時が2度目の死であり、永遠に死ぬ時である。
連合赤軍事件のことが全く世間から忘れ去られ語られなくなってしまったら、犠牲者を偲ぶことができなくなる。
2度目の死が訪れることがないことを願うばかりだ。

朋来たる

長年文通をしていたオーストラリアの友人の弟さんご夫妻にお会いした。

ダイヤモンドプリンセス号で東南アジア各国を巡って日本各地の港湾都市を訪れ、クルーズの最終目的地の横浜に寄港し、最終目的地の東京でお会いした。
途中、鹿児島にも立ち寄ったが、熊本地震の影響はなかったそうだ。
私は長年の友人の手紙やカードをファイルしたものを持参して、在りし日の友人をともに偲ぶことができた。
友人の弟さんは一番末の兄弟で、もう兄も姉も全員亡くなったそうだ。
末っ子は上の兄や姉が何でも面倒を見てくれてうらやましいと思っていたが、兄や姉の最期を見届けなければならない宿命があるのだと知らされて、それも気の毒な役目だと思った。
新宿の宿泊先のホテルのラウンジでお茶を飲みながら、故人の思い出話で友人を偲んだ。
もう桜の時期は終わってしまったが、ホテルから程近くには新宿中央公園の新緑が滴るように瑞々しく鮮やかに木々を染めていた。
時間が緩やかに過ぎていき、楽しいひと時を過ごせて嬉しく思った。
不思議なことに亡き友人も同席して一緒にお茶を楽しんでいるかのように感じた。
新緑の季節の思い出深い時間があっという間に過ぎていくようで、別れが名残惜しく、再会を願った。

地震 

一昨日から昨日にかけて熊本やその周辺で大地震が発生した。
東日本大震災を思い出す。
それに関東地方では強風や突風の被害が相次いでいる。
日本は正に災害列島である。
被害にあわれた方々には本当に心からのお見舞いを申し上げます。
現地では非常に多くの余震が続いていて、不安な日々を過ごしていることであろう。
早く揺れない日々が戻ってきますようにお祈りしています。

花花花

関西の桜と言えば京都を思い浮かべることだろう。
平安神宮仁和寺の桜の美しさは筆舌に尽くす思いがする。
京都の桜も見事だが、大阪の桜も実に豪華さがあって美しい。
その代表的な桜が造幣局の通り抜けである。
私もずっとこの大阪の桜にあこがれて、一目見たいと思っていた。
今年はやっと念願が叶って丁度桜の時期に大阪を訪れることができた。
水の都大阪は、パリのような街だと思った。
水上バスで川面に咲き誇る満開の桜を楽しんだ。
そしていよいよ桜の通り抜けを体験した。

予想通り大勢の人が繰り出して、造幣局に行くまでも道路や橋は多くの人の波で埋め尽くされていた。
しかし造幣局に入ると数々の見事な桜に圧倒されて人の波はそれほど気にならなくなった。
どの桜もみな絢爛豪華に咲き誇り中には手が届きそうな低い位置で大輪の花をつけたものもあり、これほど身近に桜を見たのは初めてだった。
さらに興味深かったのは、大阪造幣局では桜の通り抜けをテーマにした俳句や川柳の投句を募集して、優秀作品を短冊に書いて桜の木に掲げていることだった。
その中にこの光景を実に的を得た面白い句があった。
「花花花人人人で これもよし」
正にこの句が桜の通り抜けを、ひと言で言い当てているようだ。
また行きたい。

憧れの街 水の都

私はまだ日本第二の都市、大阪へ行ったことがなかった。ぜひ行ってみたい憧れの都市であった。
大阪は水の都として栄えた都市で、川を最大限に利用してきた場所である。
大阪の桜を見たくて大阪城公園のそばのホテルに滞在した。
ホテルの部屋から大阪城が見えて、周りの川やお堀の桜並木が美しく、もうどこにも行かずにこのままずっと部屋から景色を眺めていたいと思った。
しかしそこは水の都大阪、水上バスに乗って街探訪をしようと思った。
そして中之島にある大阪中央公会堂を見に行きたかった。
東京で「大川」といえば「隅田川」のことだが、大阪の「大川」は「淀川」を指す。
その大川の水面を目近に見ながら中之島へ進むリバークルーズは、さながらパリを思い出す。
中之島でひときわ目に付くのがこの大阪中央公会堂である。私はこの美しい建物を一目見たいと思っていた。
大阪城だけでなくこの大阪中央公会堂も大阪のシンボルといえる建造物である。
やっと念願がかなって嬉しかった。
桜の花も最盛期を迎える時で、川面に幾筋もの桜並木が美しい花をつけて見事な景色が目に映った。
桜の開花に合わせて一番美しい時期に大阪を訪れることができて嬉しく思った。
明日は造幣局桜の通り抜けをしに行こうと思う。

懐かしい歳月の断片

今年も春のお彼岸の頃になり、寺岡さんに会いに
ご自宅に向かった。
寺岡さんは去年の暮れにお顔に帯状疱疹ができたため入院していたそうだ。
今はもう治まってお元気そうなご様子だが、
時々通院しているそうだ。
お宅には週に一度、介護ヘルパーに来てもらうことにしたそうだ。
入院やその後の支援など、何もかもお一人でなさって心細かっただろうと心境を察する。
時々はご親戚の方々と連絡を取り合っているようでもあった。
それに今でも女学校時代の同窓会の案内が来て、懐かしく思っていらっしゃるようだ。
寺岡さんは女学校を卒業後、大学に進学したそうだ。
その後母校の女学校の職員になられたそうだ。
お手紙の文面や、お会いした時から、この方はきっと高学歴で、知性と教養にあふれた方だろうと想像していたが、正に思った通りの方であった。
恒一さんが学生運動に参加するようになり、デモの後、よく東京のご実家に泊まったそうだ。恒一さんは初孫でもあり、可愛がられたそうであった。
寺岡さんのお宅にはそうした思い出がいっぱい詰まったかけがえのないお家で、時にはまだ恒一さんがいらしたときの面影を感じることもあるのではないかと思う。
庭に面した明るい台所に小さな黒板がかかっている。
その下の方に寺岡さんの似顔絵が描かれている。
描いたのは甥御さんだそうだ。
もう随分年数がたっていると思われるが、これだけは消えないとおっしゃっていらした。
何とも言えない味わいのある似顔絵で、寺岡さんの雰囲気がよく表れている。
寺岡さんは今は一人暮らしで、時には心細いと思うこともあろう。
しかしお宅にはご家族の皆様が揃ってお住まいだった頃の懐かしい歳月を感じ取ることができた。
明るい春の陽光に、庭の乙女椿が今年もかわいらしい花を咲かせていた。