光陰矢の如し

台湾の旧正月である春節の頃に、長年にわたって年賀のあいさつを続けていた知人の奥様が突然お亡くなりになったとの知らせがあった。
その方のお宅にはわずかの間だが部屋を間借りしていたこともあり、ずっと恩義を感じていた。
夜間に突然お亡くなりになったそうで、連絡を受けた時は信じられず、戸惑いを感じた。
いつも台湾でお会いしたいとおっしゃってくださっていたのに、もう二度とお会いできなくなってしまったのかと思うと残念でならない。
あの当時、台湾で一緒だった滋賀県の友人にも連絡してみた。
その方は今は日本を離れて生活しているそうだが、ご家族の方とお話しできて懐かしく思った。
月日はあっという間に過ぎていくものだ。
人には会える時に会っておきたい。

朋あり遠方より来たる

86歳で亡くなったオーストラリアの友人のご遺族から、思いがけずクリスマスメールをいただいた。
来年の3月下旬にダイヤモンドプリンセス号で
シドニー港を出発して東京までのクルーズを楽しまれるそうだ。
寄港する横浜か東京でお会いできそうだ。
亡き友人の思い出話やクルーズの土産話ができたらうれしく思っている。
遥か南太平洋の遠方から昔の友人のご家族に会えるとは、めったにないチャンスである。
年末に思いがけず喜ばしい話が舞い込んだ。

皆様にとって良い新年を迎えられますことをお祈りいたします。

秋の日に

今回も10月になってしまったが、この秋も寺岡さんのお母様にお会いすることができた。

お宅の庭の柿の木には柿がたわわに身をつけて、枝が垂れ下がっているのもあった。
2年前に雪野建作氏や連合赤軍の全体像を残す会のメンバーの方々と寺岡さんにお会いした時と同じような秋晴れだった。
あの時、メンバーの方々と柿を取った時のことを懐かしく思い出した。
今年は、柿の実は11月に植木屋さんに取ってもらう予定とのことだ。
寺岡さんもお一人で何もかもなさるのが大儀になってきたように感じていて、
そろそろ介護サービスを受けることを検討していらっしゃるご様子だった。
それでもお元気なご様子で安心した。
吸い込まれるような素晴らしい秋晴れの青空に、鮮やかに色付いた柿の実が鈴なりに実っていた。
のどかな秋の日に、時間が止まったかのような穏やかなひと時を感じた。
寺岡さんのお母様もどうかいつまでもお元気でいらしていただきたい。
恒一さんの遺影の前で切にそう願った。

Measure my song...逃げるが勝ち

スイミー』を書いたオランダ出身の童話作家レオ・レオニの作品にシャクトリムシが主人公の”Inch by inch"がある。
腹ペコのコマドリに食べられそうになったinchworm(シャクトリムシ)が「わたしを食べないでください。私は何でも測れる役に立つシャクトリムシです。
あなたの自慢の尾羽を測ってみましょう・・・ほら、5インチもありますよ」と言った。
尾羽の長さを測ってもらったコマドリは、シャクトリムシを、体の自慢の部分の長さを測ってもらいたがっている鳥たちのところへ連れて行った。
シャクトリムシは、フラミンゴの首、オオハシのくちばし、サギの足、キジの尾、ハチドリの体を測った。

ある朝シャクトリムシは、歌が自慢のヨナキウグイスに出会った。
ヨナキウグイスはシャクトリムシに「わたしの歌を測ってくれ」と言った。
シャクトリムシは「物なら何でも測るけど歌は測れない」と答えた。
ヨナキウグイスは「わたしの歌を測ってくれないのならお前を朝ごはんに食べちゃうよ」とシャクトリムシに言った。
このままではシャクトリムシはヨナキウグイスに食べられてしまう。
しかし名案が浮かんだ。
「とにかく測ってみるから歌ってよ」とヨナキウグイスに言った。
ヨナキウグイスは歌った。シャクトリムシは測りに測った・・・
少しずつ(inch by inch)ヨナキウグイスから遠ざかっていき、とうとう姿を消した。

この童話を詩人の谷川俊太郎が『ひとあし ひとあし』という表題で翻訳している。

危機に瀕した時は「三十六計逃げるに如かず」という戦略がある。「逃げるが勝ち」という言葉もある。
生きていく上で、時にはこの童話のシャクトリムシのような知恵が必要だ。

measureには「測る」の意味の他に「評価する」という意味もある。NHKの『紅白歌合戦』も、歌を測っていることになるのかもしれない。
ちなみにシェイクスピアの喜劇に”Measure for measure"『尺には尺を(しっぺ返し)』という作品がある。

伝統工芸品 japan

”Japan”は英語で「日本」という国名を表すが、
”japan”と一般の名詞で表記すれば「漆器」という意味になる。

日本といえば漆器を表すほど漆器は日本の
伝統工芸品の代表である。
中でも輪島塗は日本の漆器の中で最高の漆芸品である。
しかしそれだけに値段が高い。
それでも最近は「木乾」という木くずと樹脂材を混ぜたものも多く、扱いも楽で日常的に気軽に漆器を楽しめる。
ただし、やはり電子レンジや食洗器は使用できない。


梅雨の半ばに輪島の朝市に行ってみた。
多くの店が軒を並べて海産物や食材、輪島塗のお店も多かった。

しかし私の目当ては輪島塗ではなく、塗る前に規格外で撥ねられた白木の箸だった。
輪島塗の箸はアテ(アスナロ)の木で作られるが、少しでも変形があったり木目や色味が強かったりして不適格となる箸が出る。
それらは日常の調理や菜箸に使われる。
それにアスナロもヒノキの一種なのでヒノキの香りがして殺菌作用もある実用的なものである。
朝市で白木箸をたくさん分けてもらって今回の旅の目的が叶った。


もちろん輪島に来たからには漆器も買った。
食器乾燥機に対応できる木乾の湯飲みや菓子皿、スプーンやフォークなどは、気軽に毎日漆器に親しめる。
漆器の大きな長所は落としても割れないことだ。
それに冬の寒い時でも陶器のように冷たくならず、木のぬくもりを感じる。

本格的な輪島塗は実に見事で、日本が世界に誇れる伝統文化であり芸術品でもある。

実用的な漆器もまた素晴らしい。
これこそjapan、この偉大な伝統工芸を誇りに思った。

藍より青く


中国共産党の最高指導者、毛沢東の妻であり文化大革命の指導者であった江青は、女優時代に「藍蘋」と名乗っていた。
毛沢東を師と仰ぎ、共産党の本拠地に着いた時から「江青」と名を改めた。
荀子の言葉にある「青出于藍而青于藍」(「青は藍より出でて藍より青し」・・・青色の染料は藍の葉から作られるが、藍よりも鮮やかな青になることから、弟子が師より優秀になることの意)を意識して改名したといわれている。
それに「江」は中国最大の大河、長江を指す。
江青は師である夫、毛沢東よりも優れた指導者として中国で一番偉大な人物になろうとする強い意志があったのだろう。
しかし文化大革命で横暴を極め、逮捕され無期懲役で服役中に自殺した。
江青が抱いていた途方もなく大きな野望とそれを実現しようとした行動は極端に強引で多くの弊害を生じたため、彼女は楊貴妃西太后らと共に中国の3大悪女の一人に加えられることになった。
今、日本のあらゆる学校は新入学の時期である。教師から様々なことを学び吸収して、藍より青く、師を追い越すような優秀な人材が育っていくことを願っている。
それこそ「出藍の誉れ」である。
ちなみに中国の3大悪女に比べれば日本の3大悪女(北条政子日野富子淀君)らは、かわいいものだ。

めぐる季節 春

昨年の10月以来、もう半年が過ぎた春のこの日に、墓参の後、寺岡さんにお会いした。
お宅のお庭の椿が綺麗に咲き誇っていて、
厳しい冬もやがては過ぎゆき再び春がやってくるのだと季節の移ろいを感じた。
聞くところによると、恒一さんの命日の頃に、
高校の時の同級生たちが墓参にいらっしゃるという。
その中に井上さんという方がいらっしゃるそうだ。
どうやらあの社会活動家の井上澄夫氏の弟様のようだ。
井上澄夫氏はこの冬に脳血管疾患で急逝したそうだ。
井上氏の手記にも恒一さんが登場し、井上氏のお宅に遊びに来た思い出が書かれていた。
寺岡さんは恒一さんが亡くなられてからもう何十年にもなるのに、今でも高校の同級生がお参りに来てくださってありがたいことだとおっしゃっていらした。
きっと高校の時のお友達にとって恒一さんは忘れがたい、かけがえのない友情で結ばれていた何かがあったのだろうと思った。
寺岡さんはご自身が高齢で不安になることもあるそうだ。
しかし住み慣れたお宅でずっと過ごせたら幸せだと思っているそうだ。
先のことはわからないから今を満喫するのが最良だ。
寺岡さんにお会いすると、またお会いしたいと思う不思議な魅力を感じるかただ。
おたずねしたいことがあったら聞いておきたい。
恒一さんのことを知る人たちにもお会いしてみたいと思った。