大河ドラマに想う(2)辞世の句

大河ドラマ『おんな城主直虎』で、高橋一生氏が演じた小野政次の祖先に、
和様書道家であり三蹟の一人である小野道風がいた。
小野家は代々この小野道風の書を伝えたのだろうと思う。
小野政次もきっとかなり達筆な人だったにちがいない。
大河ドラマで、政次が詠んだ辞世の句が映し出された。
筆跡には書き手の人となりが如実に映し出されるものだ。
書を見ればその人が男か女か、体調や心理状態までもが
手に取るように伝わってくる。
この辞世の句の筆跡からは、死を目前にした男の気迫が込められた書であることを感じさせる。
辞世の句の本文の書体は同じ三蹟の一人、
藤原佐理(ふじわらのすけまさ)を思わせる書風だが、最後の署名は小野道風の行書体のようだ。
この書の「け」や「む」、「つたふ」「らすや」などの仮名の筆致は、平安朝の古典「高野切(こうやぎれ)」などの古筆に見られる字体である。
また「楽し」のような漢字と仮名の連綿体は、相当古典の臨書をこなした人でなければ
到底書けない書法である。しかも「楽」は旧字体「樂」を流麗な行書で書きこなしている。
このような古典の筆跡に忠実な字が書ける人は、いったいどんな方なのか、
その筆致には若さも感じられるし、どこか強く心に惹かれるものがあった。
小野政次の遺墨なのか、あるいは政次になぞらえて書家が書いたものなのか、

そうだとしたらこれを書いたのは、かなりの実力派の書家とお見受けする。
是非ともどなたが書かれたのか、お名前を知りたいとNHKに問い合わせた。
そうしたらなんと、政次役を演じた高橋一生氏ご本人の筆だという。
高橋一生氏は小野政次役に徹するために血のにじむような努力をされたのであろう。
この1枚の辞世の句がそれを物語っている。
きっと小野政次役になりきるために古典の書体を相当臨書して学んで、
政次の心情に寄り添う決意が感じられる。
役どころの満身創痍の痛みをこらえて書いたような、とぎれがちの連綿体で。
実際、病気やケガで体調が悪い時に筆をとると、あの辞世の句の最後の「す」「や」のように左へ長く流れる字体になる。
高橋一生氏ご自身もきっと相当な書道の実力をお持ちの方だと思われる。
その書体全体から確固とした筆意が感じられるし、筆が紙の上を走る(筆が紙をきる)音まで聞こえてくるようにも感じられる。
それに人柄が偲ばれるような何とも言えない愛着のある筆跡でもある。
私もこの辞世の句を臨書してみたい。
しかし、しょせん私は女手だ。
このような、はっとするほどの気迫と強い決意のこもった男手の書には到底およばないだろうが、それもよかろう。
高橋一生氏が何を思って小野政次になり替わり、この辞世の句を書いたのか、
その心の琴線に触れてみたい。
役者はあの世から遣わされた賓客(まろうど)だ。前世と現世を繋ぐ役も果たす。
あの世の小野政次が、この世の高橋一生氏に「史実と真実の白黒もつけよう」と筆をとらせて辞世の句を書かせたようにも思えてくる。
これは正に小野政次の筆だと言えよう。
これだけの字が書ける人に、悪い人はいない。
久々に胸がすくような潔い筆跡を拝見させていただいた。
人の心に強烈な印象を与えるだけでなく、ずっと手元に置いて鑑賞したいと思わせるような愛着を感じさせる筆には一生かかっても出会える可能性はめったにない。
一生に一度で良いから自運でこのような、筆が紙をきる音まで感じさせる筆跡を残せたら素晴らしいと思う。