そして誰もいなくなった

「10人のインディアンの少年が食事に出かけた。
ひとりが咽喉を詰まらせて9人になった。


9人のインディアンの少年が遅くまで起きていた。
ひとりが寝過ごして8人になった。


8人のインディアンの少年がデヴォンを旅した。
ひとりがそこに残って7人になった。
 

7人のインディアンの少年が薪を割っていた。
ひとりが自分を真っ二つに割って6人になった。


6人のインディアンの少年が蜂の巣をかまっていた。
熊蜂がひとりを刺して5人になった。


5人のインディアンの少年が訴訟を起こした。
ひとりが裁判所に捉えられて4人になった。


4人のインディアンの少年が海に出た。
燻製のニシンがひとりを飲み込んで3人になった。


3人のインディアンの少年が動物園を歩いていた。
大きな熊がひとりを抱いて2人になった。


2人のインディアンの少年が日なたぼっこをしていた。
ひとりが焼け焦げて1人になった。


1人のインディアンの少年が後に残された。
彼が自分の首を吊り、そして誰もいなくなった。」
マザーグース 『10人のインディアンの少年』


アガサ・クリスティーの代表作『そして誰もいなくなった』には、どこか連合赤軍事件と
共通の雰囲気を感じさせるものがある。
インディアン島という孤島の屋敷に10人の招待客が到着するが、帰りの船が来なくなり、孤立する。
そのうち全員が広間に集まった時、10人の過去の罪を告発する声が流れてくる。
インディアン島の屋敷に集まった10人は、法律に触れず裁かれない殺人罪が適用されるべき人たちだった。
この作品が書かれた1939年当時、イギリスにはまだ死刑制度があった。
そして、法の裁きを逃れた10人の殺人犯に対して死刑が執行されていくかのように、
マザーグースの詞のとおりに次々と起こる連続殺人・・・
「この中にいる誰かに殺される」「次は私かもしれない」・・・互いに疑念と不信感と、
自らの過去の犯罪に対する良心の呵責にさいなまれる恐怖心が、複雑に絡み合う
心理描写が印象的である。

もし人が『そして誰もいなくなった』のようなクローズド・サークルに身を置かれたら、
どんな心理状態になるのだろうか?
連合赤軍事件は正にこの小説と共通する心理的なイメージがあるように思う。
真冬の山岳ベースアジトの閉ざされた範囲(サークル)で、閉ざされた仲間(サークル)が次々と殺されていく事実は、『そして誰もいなくなった』の心理現象に近いようだと思う。
仲間同士が疑心暗鬼になり、「ここにいる仲間の誰かに殺される」「次は私かもしれない」という強い不安と不信感で互いに疑念を持ち、警戒し合うようになっていく・・・
しかし、孤島ではないのだからアジトから脱出しようと思えばいくらでも逃げ出せる機会があったのに・・・
森恒夫永田洋子も、自分以外の仲間たちが、そして誰もいなくなればいいと思っていたのか、そして誰もいなくなるまでリンチ殺人を続けるつもりだったのか、謎が深まる事実である。
森恒夫は、この詞の最後にひとり残されたインディアンの少年のように自ら首を吊った。
連合赤軍事件は小説ではない。
ミステリー小説よりもはるかに恐ろしく不可解な謎に満ちたこの事件は、
40年前に実際に起きた出来事だ。