沈黙の証人

連合赤軍事件当時の新聞記事に、
「殺した者も殺された」という見出しがあった。
仲間のリンチに加担していたメンバーも、
「総括」の槍玉にあげられて殺された者もいた。
リンチで命を奪われた12名の若者たちの名前は皆
呼び捨てで表記されて全員指名手配犯だった。
しかも強盗や殺人、死体遺棄などの凶悪な犯行に手を染めていた。
生き残って逮捕されたメンバーは当然のこと、凄惨なリンチで悶死していった犠牲者も
「身から出たサビだ」と言われ、世間の厳しい批判にさらされた。
そして事件当時、犠牲者の家族や関係者が皆一様に「そっとしておいてください」と言って世間から遠ざかろうとした。
これほど残酷極まりない現実を事実として受け止めなければならなかった事件の関係者らの心中はいかばかりか察するに余りある。
事件について語ることなど到底できなかったと思う。
映画監督の若松孝二氏は、連合赤軍事件に関与した人が皆一同に口をつぐんで真実を語ろうとしないことが非常に残念に思っていた。
このままではあの時代に学生運動に心血を注いだ若者たちが誰も浮かばれないことに
危機感を抱き、自らが連合赤軍事件の落とし前をつけるために
映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』を製作した。
そして「あの時代」に起きた事件を忠実に再現し、事実を語ることができない当事者や
命を絶たれた無言の証人に成り代り、出演した俳優全員が真実を語ることで
一連の連合赤軍事件の落とし前をつけた。
連合赤軍事件から40年たった今でも事件を語ることができない当事者や関係者も多いと思う。言いたくても言える立場ではない方も多いのではないかと思う。
そのような連合赤軍事件を語れない沈黙の証人が多い中で、事件の事実を残していこうとしている「全体像を残す会」の方々は、例会や追悼集会を開催して、あの事件を検証し考えていこうとしている。
残酷な過去を再検討して見つめなおすことは並大抵のことではない。
事件に関わった当事者の多くが沈黙している中で、真実を残そうとする意気込みと気迫が感じられる。
そうした会の活動は、事件で命を絶たれた無言の同志たちの供養に繋がるのではないかと思う。
事件を語ることができない人たちも、冬が来るたびに、雪の便りを聞くたびに、
あるいは今年のような節目の年に、事件を思い起こすこともあろうかと思う。
あの時あの場所にいた若者たちはこの節目の年に当たり、
今どのような心境にあるのだろうか、と思いを巡らせている。