山の頂上から

山の頂上に立つと、360度の大パノラマが広がり、
下界の景色全体が一望に見渡せて、今まで見えなかった遠くのものまで見えてくる。
逆に今まで大きく見えたものがはるか遠くに小さく見えることもある。
人生もある程度の年月を重ねると幅広い視点で
多角的に物事を見ることができるような気がする。


たとえば、連合赤軍事件で生き残った当事者が、「今までの活動を正当化することが、
『総括』で亡くなった仲間のためでもある」と主張していたことがあったが、

それは若さゆえの傲慢な発言だと思っていた。
どんな理由があろうと人の命を奪うことに大義名分など成り立たないし、決して許されることではない。
まして山岳ベース事件は、敵対する相手ではなく、今まで同じ志を持って一緒に活動してきた仲間を、ほんの些細な私情で命まで奪って排除した。
それを「仕方がなかった、ごめんなさい」で済まされる事ではないはずだ。
連合赤軍事件後しばらくの間は、事件に関与した人たちは事件を振り返るにはまだ若く、今までしてきたことを否定されるのは悔しいし不安であるし、事件を起こした意味を省みるところまで辿り着けるには若すぎたのかもしれない。
ちょうど深手を負った時のように、当初は生々しい傷が痛々しく、正視できる状態ではない。傷が癒えるには相当の月日が必要だ。
それまでそっとしておいてほしいと願うようなものだ。
しかしある程度年数が経ち、年齢が上がるにつれ、より大きな広い視野で、今まで気づかなかった物事がより鮮明に視界に現れ、事件の全体像を見渡すところに来ているのかもしれない。
雪野建作氏が発起人の一人になっている「連合赤軍事件の全体像を残す会」も、
会員の方々が、山頂に辿り着いた時のような大きな視点で全体像を見渡して、

事実を残そうとしている強い意志がまざまざと感じられる。
そして何よりも、むごい事実から目をそらさずに連合赤軍事件と真剣に向き合い、
真実を語り継ごうとする勇気に敬服する思いがした。


「あなたの若さでは低い丘の途中で人生を振り返っているようなもの。
でも私くらいの年齢になると山の頂上から人生を見渡すことができる」 ココ・シャネル