心の琴線

連合赤軍事件の主犯者である永田洋子は、
瀬戸内寂聴と手紙のやりとりをしていたことがあった。
瀬戸内寂聴永田洋子のことを「幼い」と評した。
「彼女の手紙には必ず絵が描いてあって、
おいしいものを食べた、とか書いてくる。
これが革命戦士を名乗る活動家とは思えない
ごく普通の女の子」と言っている。
永田洋子は「なぜあんなことになってしまったのか」「みんな仲間同士で打ち解けて話し合っていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか」と著書の中で何度も書いている。
大量リンチ殺人事件の当事者としての自覚に欠けていた永田洋子瀬戸内寂聴に救いを求めたのだと思われた。
永田は、大量リンチ殺人を誤りだと認めて謝罪もしていた。
しかしそれは仕方がなかったことだと裁判で弁明している。
裁判官は「多くの命を奪った者の言葉にしては琴線に触れるものがない」と
永田洋子のうわべだけの謝罪を批判した。
永田は「こんなに謝っているのに分かってくれない」と、瀬戸内寂聴に吐露した。
これに対して瀬戸内寂聴は、「あなたがいくら謝っても、命を奪われた仲間たちは誰一人生きて帰ってこない。その意味を考えてほしい」と永田洋子を諭した。
生涯で一番感受性が強い少女期に文学作品をほとんど読まずに成人した永田洋子
文学によって養われる人の心の琴線に触れる感性や人間性を持つことができずに
人生を終えた。
榛名湖は今、紅葉の最盛期である。
連合赤軍のメンバーが初めて榛名山に来たのも今頃だった。
アジトをこの地に決めたのは永田洋子だった。
彼女は果たしてこの抜けるような青空と、美しく映える紅葉の景色の素晴らしさを
どのように感じていたのであろうか?