失敗から学ぶ

There could be no honour in a sure success,
but much might be wrested from a sure defeat.
T.E. Lawrence "Revolt in the Desert"
「確実な成功をおさめても何の名誉も得られないだろうが、確実な失敗から得られるものは多かろう」
T.E. ロレンス『砂漠の反乱』


江戸時代は約300年も続いた。
なぜ徳川幕府だけがこれほど長く続いたのかというと、徳川家康が先人の失敗をよく研究し、失敗から多くを学んでいたからだと、小学校の社会科の授業で先生から教わった。

たとえば、平家が滅んだのは、幼少の源頼朝や赤子の義経に温情をかけて
命を助けたために、やがて成人した頼朝が義経らと挙兵し、平家を滅ぼした。

いくら幼子でも、成人し挙兵されては困るため、豊臣秀頼の幼い息子を自害させた。
鎌倉幕府が滅びた原因は、政敵である北条氏を側近にしたため、勢力を拡大させ、
地位を奪われた。それで家康は、関ヶ原の合戦で豊臣方に付いた武将を外様大名にして江戸から遠ざけた。


連合赤軍事件の主犯者である永田洋子は、連合赤軍による大量リンチ殺人事件を誤りだと認めている。
連合赤軍は、日本赤軍の一派と京浜安保共闘ら革命左派が結束してできた組織だった。
しかし党の統一を目指していた森恒夫と、自らの党が主体となり武力による闘争を
主張していた永田洋子とは初めから意見の相違があり、両派の主導権争いが表面化し、
双方の利害関係や対立から方向性を見失ったため結束できずに崩壊した。


「船頭多くして 船 山に登る」

学生運動の大失敗となった連合赤軍事件から学ぶことは多々ある。