榛名湖管理事務所で

17年前の10月24日に、初めて榛名湖を訪れて、
管理人の丸岡和平氏にお会いした。
丸岡さんは連合赤軍事件に詳しいかたで、この時、
榛名湖管理事務所で丸岡さんご夫妻とお話できた。
丸岡さんが一冊の本を見せてくださった。
それは坂口弘の短歌集『歌稿』だった。


  「榛名山の林の中の片流れ造りの小屋にてリンチをなしき」


  「思い余り総括の意味を問いしとぞ惨殺される前夜に彼は」


  「少年は泣き叫ぶ「総括」などしたって誰も助からなかったじゃないか」

  
  「済まないと風呂に入るたび詫びるなり裸で埋めし亡き同志らに」

  
生々しい犯行現場がよみがえってくるようである。
丸岡さんご夫婦が坂口弘を見たのは、秋も深まる11月下旬ごろだった。
榛名山も木々がすっかり葉を落として地面は枯葉に覆われていた時期だった。
榛名山の麓の林道に一台の車が止まっていた。その時はちょうど日が暮れる頃だった。
山の冷え込みが厳しい中でその車は全部のドアを開け広げにして、
中で若い男がまっすぐ前を見据えて誰かを待っているようだった。
その車の下にはおびただしいタバコの吸殻が散乱していたという。
ひとりの男がこんなにタバコを吸えるはずはない。
きっと多数の人間がここに来たか、あるいはこの男が長時間ここにいたのか、

とにかく枯葉で燃えやすい所に吸殻を捨てられては困るから、丸岡さんはその男に
「ここにタバコの吸殻を捨てて山火事になったら大変だから、拾って片付けて下さい」と
注意した。そうしたら男は鋭い目つきでにらみ返して、「これは俺がやったんじゃない」と
食ってかかったが、最後は素直に管理人の言うとおりに車から降りて吸殻を片付けた。
しかし車も男も立ち去る様子はなかったが、そうかといって危険な様子もなかったし、ただ誰かを待っているだけだと思い、丸岡さんはその場を立ち去ったそうだ。
その翌年の2月に、丸岡さんは、テレビであさま山荘人質事件のニュースを見ていた。
窓越しにライフル銃を構え、銃口をこちらに向けている坂口弘の顔が映し出された時、
丸岡さんは、3ヶ月前に榛名山で見かけたあの車の男だとはっきり分かったという。
丸岡さんの奥様は、あの時榛名山で見た坂口弘の、何かを思いつめたような、

ただならぬ顔は決して忘れられないとおっしゃっていた。
坂口弘は指名手配犯だった。
丸岡さんは、あの時不審な車と男を見かけたことをすぐに警察に通報していれば、
12名の若者たちが犠牲になることはなかったし、あさま山荘人質事件もなかった、と、
いまだに後悔の念が消えることはないとおっしゃっていたことが、今でも強く印象に残っている。こんな貴重な体験を聞くことができて、感慨深いものであった。