榛名山へ

17年前の10月24日、私は榛名湖を訪れた。
あの時あの場所で何があったのか、
どうしてもこの目で確かめたかった。
榛名湖は秋の晴天に恵まれて、湖面が紺碧に輝いて気持ちが和んだ。
こんな穏やかな場所で、本当にあのような
恐ろしい事件が起きたことが信じられなかった。
私は山の管理人の丸岡和平氏を訪ねた。
丸岡氏は奥様と榛名湖管理事務所に住み込みで仕事をなさっていた。
丸岡さんは連合赤軍事件に詳しいかただという。
丸岡さんが榛名山のアジトがあった現場に案内してくださった。
紅葉の美しさに目を奪われそうになった。
連合赤軍のメンバーが初めてこの地に来たのもちょうどこの頃だったという。

抜けるような青空と輝く紅葉に見守られながら、彼らなりの抱負も抱いていたであろう、
と思いを馳せた。
アジトがあった場所はもうすっかり地形が変わって草が生い茂り、その跡形も

感じられなかったが、ただ彼らが車止めにしていた場所だけは21年経ったその当時も、
まだくっきりと四角く地面が露出したまま形成をとどめて残っていた。
あの当時、彼らはこの場所で連日連夜、残酷極まりない犯行を繰り返して、
ここに車を止め、ここから仲間の遺体を運んだのかと、新聞記事で目にした凄惨な事実が再現されるように思えた。
寺岡恒一さんも、1月15日に、ここで凄惨な手口で命を奪われたのかと思うと、

恐ろしさと悲惨さで凍りつくような、いたたまれない気持ちになった。
私は思わず手を合わせて、犠牲者の冥福を祈った。
秋晴れの空の下で鮮やかに映える紅葉が、あたかも燃え尽きていった連合赤軍の運命を暗示しているようでもあった。