キエフにて

今のウクライナ共和国がまだソ連の一部だった頃、
首都キエフは、モスクワ、レニングラード(現サンクト
ペテルブルク)に次ぐ大都市だった。
私は旧ソ連時代にキエフを訪れたことがあった。
キエフの中心地に、「不滅の栄光の丘公園」があり、
ドニエプル川を見下ろす高台にあるその公園は無名戦死者をまつる霊廟があった。
公園で佇んでいた時、私が日本人だと見てとったのか、2人の女性が声をかけてきた。
その日は8月9日だった。彼女たちはすぐに原爆の話をした。
この日、ナガサキに原爆が投下されたことを知っていた。
そしてここキエフ第二次世界大戦で市民の3人に1人が殺された悲惨な戦争体験が
あったことが分かった。
キエフに行った当時は東西冷戦時代で、ソ連の核爆弾の標的に日本も含まれていた。
しかし彼女たちの口からは、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」の言葉が出てきた。戦争のない平和な世の中が続くことを祈る気持ちが伝わってきた。
ソ連で、現地の人たちと、反戦反核について話し合えたことは、
予期せぬ貴重な体験であった。
今ようやく世界が核廃絶に向けて動き始めたが、原爆の悲惨さを伝えることこそ、
唯一の被爆国である日本だからできる平和活動ではないかと思った。