戦場のピアニスト 追悼の曲

5月はよく体調が悪くなることが多い。
去年も喘息の発作を起こした。
10年前に手術を受けたのも5月だった。
その当時入院していた病院は、癌患者が多く、
ホスピス病棟もある。
病院は病気と戦う戦場だ。
しかし、とても病院とは思えない構造でロビーにはグランドピアノもあった。
入院中にそのピアノを弾いてみた。
その時弾いたのがブラームスの『弦楽六重奏曲第一番』の第2楽章だった。
聞き慣れない曲名だがフランス映画『恋人たち』に採用されて有名になった曲だ。
私がこの曲を知った時、ちょうど連合赤軍について、寺岡恒一について知ることとなった時と重なった。
ブラームスが25歳の時にこの曲を作曲した。
ブラームスは、晩年の怖い顔をした老人の写真のイメージがあるが、
25歳当時のブラームスは、それはうっとりするような美青年だった。
どんなに老いさらばえた老人にも必ず若い時期があった。
私はこの曲を、亡き恋人と、その顔に生き写しの寺岡恒一さんへの追悼の曲にしてきた。そんな曲をなぜか病院のピアノで弾いてみた。
誰もいないし、ちょっと試しに音を鳴らしてみただけのつもりだった。
病室に戻ろうとした時、初老の男性が声をかけてきた。
そのかたはチェロ奏者で、天皇陛下にもチェロの指導をなされたこともあるそうで、
この曲には特別の思いがあったという。
そのかたの病室を聞いて一瞬唖然とした。それはホスピス病棟だった。
病気と戦う戦場で、敗戦が決まってしまったのだ。
この束の間の出会いが今生の別れとなった。
こんなことならもっと真剣に、魂を込めてその曲を弾けばよかったと、後悔だけが残った。音楽はどこで誰が聴いているか分からない。
ブラームスの『弦楽六重奏曲』を弾く時はいつも、亡き恋人のこと、寺岡恒一さんのこと、
そして今まで出会った思い出深い人たちを偲んで、全霊入魂で演奏しようと心に誓った。