あれから15年

私が連合赤軍事件を知り、寺岡恒一という人物を
知ってから15年後の5月に、やっと恒一さんのお母様にお会いすることができた。
その日は恒一さんの月命日の15日だった。
墓参の後、横浜のご自宅をお訪ねした。
お会いして、ひと目でこのかたは寺岡恒一さんの
お母様だとすぐ分かった。お顔にその面影が色濃く感じられたからである。
私のことを初対面とは思えず、以前どこかで会ったことがあるような気がすると、
おっしゃってくださった。
恒一さんは、ジュウシマツを飼ったりサボテンを育てたりする心優しい青年だったそうで、ゲバ棒を振るって激しいことをするようになるとは思いもよらなかったそうだ。
恒一さんは1月21日の誕生日を目前にして、命を絶たれたそうだ。
死亡日は14日とか17日とか色々な証言を基にしているが、
司法解剖の結果を踏まえて1月15日にしたそうだ。
あと数日で24歳になるところで、さぞかし無念であっただろうにと、
胸中を察するに余りある。
恒一さんは横浜国立大学のほかに早稲田大学にも受かったそうだ。
お母様は今でも、もし早稲田に入学していたら、と思うことがあるという。
私は、寺岡恒一役を演じた佐生有語氏が、恒一さんのお母様にお会いしたい意向があるとお話しした。
その時、佐生有語氏の公式のプロフィール写真をご覧になった寺岡さんは、
佐生氏を、息子に似て真面目そうなかただとおっしゃっていた。
このお二人が本当にお会いする日が来ることを真に願った。