2つの顔

連合赤軍事件で命を奪われた寺岡恒一という人は、
私のかつての恋人の顔と生き写しのようであった。
寺岡恒一は革命左派組織の古参で幹部だったが、
活動がエスカレートし、犯罪にも手を染めて、
もし生きていたら極刑に匹敵するような重罪に問われたかもしれない。
それでも私はどうしても他人事とは思えず、
実際の寺岡恒一がどんな人だったか知りたいと思い、
恒一さんのご両親に手紙を出した。
そうしたらまもなく返事をいただいた。
恒一さんは大学2年くらいの時に、京浜安保共闘という組織に入り、
活動家となって組織にのめりこんでいったそうだ。
やがて警察沙汰になり、指名手配犯となって、随分悲しい思いをしたという。
そして、あさま山荘人質事件の際にも、他の親御さんと一緒に説得に行ったことも。
寺岡恒一さんのご両親との文通は、約1年ほどだったが、実際にお会いするまでには至らなかった。
あの時は恒一さんのお父様もご存命でいらした。
もしお会いする機会があったら当時の心境など、お話できたと思うと残念でならない。
しかし、事件については触れられたくなかったかもしれない。
私は今でも恒一さんのお母様とお会いしても、相手側から事件について話さない限り、
話題にしないようにしている。