予期せぬ再会

私が連合赤軍について詳しく知りたいと思うきっかけとなったのは、連合赤軍事件から21年後の1993年(平成5年)のことであった。
その年の2月に、最高裁判決で永田洋子坂口弘に死刑判決が言い渡され、2人の死刑が確定した。
事件当時私は小学生だったが、事件の記憶はほとんど
なかった。
あの当時の若者たちはどんな人たちだったのかと、
何気なく図書館で当時の事件記事の本を開いた。
10数名の若者たちの顔写真のなかに寺岡恒一という名の顔を見た瞬間、
思わず息を呑んだ。
それはまさしく死別した昔の恋人の顔に生き写しだった。
当時の状況のことも気になったし、それよりもこの寺岡恒一という人がどんな人だったか、事件後はどうなったのか知りたいと思い、国立国会図書館に通った。
どうかこの人がご存命でありますようにと祈りながら当時の新聞記事を読み進めた。
しかしその願いはむなしく、寺岡恒一さんは最も凄惨な最期だったことを知った。
まるで私のかつての彼が同じ目にあっているかのような錯覚に陥り、
余りのショックで一瞬気が遠くなった。