名は体を表さず

民主党小宮山洋子氏や、歌手の長山洋子の名前は「ようこ」と読む。
しかし連合赤軍の主犯者であった永田洋子の名前は「洋子」と書いて「ひろこ」と読む。
それは、永田の両親が、果てしなく広い太平洋のような広々とした心の人間になってほしいと願って、
太平洋の「洋」の字をとり、あえて「ひろこ」と読む名にしたそうだ。
しかし永田洋子は名前をつけてくれた両親の思いとは全く異なり、
非常に心の狭い人であった。
ある女性解放運動家が永田洋子から、行動を共にしないかと誘われて、永田に会いに
丹沢アジトに行ったことがあった。
そのときの永田洋子の印象は、ニコニコして良さそうな人だと思ったそうだ。
アジトには永田のほかにも朴訥とした若い男女が十数名いて、中には妊婦もいた。
永田はその妊婦を指して、「生まれてくる子は革命の子なの。この子をみんなで育てるの」と、にっこり笑って言ったそうだ。
しかし話し合ううちに、永田が少しでも自分と考えが違う人たちのことを激しく毛嫌いして、憎憎しい口調でけなすのを聞いて、この人とはとても一緒に行動できないと思ったそうだ。
2月は永田洋子の誕生月でもあり命日の月でもある。
2月は彼女が仲間を凄惨なリンチで命を奪っていた月でもあり、犯行が発覚して逮捕され、最高裁で死刑が確定した月でもある。
名は体を表さなかった永田洋子にとって2月は何と因縁深い月なのだろうか。
あさま山荘事件からちょうど40年たった2月のこの時期は、
連合赤軍事件について深く考えさせられる月でもある。