法要に思う

10月に亡くなった祖母の四十九日の法要が
無事に終わった。
普段めったに会えない一家も来ていた。
こういう場がないと会うこともないだろう。
これはきっと祖母がみんなに引き合わせてくれたようにも思える。
納骨の儀式にも参列した。
お墓の中には先代の遺骨がいくつか納められていた。
中には生まれて間もないうちに亡くなったと思われる小さなものまであった。
7週間前まで祖母は生きて食事をして話ができたのに、
今は骨と灰になって埋葬されたことが信じられないほど、
生きていた頃の記憶が鮮やかすぎる。
遺骨が納められた骨壷を見ながら私もいずれはこうなる運命なのだと再認識した。
誕生と同時に死の宣告を受けているのだから当然のことであるが、
この世の無常をかみしめるような感慨深いものであった。