明日ありと思う心

「明日ありと思う心のあだ桜 

夜半に嵐の吹かぬものかは」 親鸞


延暦寺でこの句が書かれた書を見た。
今、盛大に咲き誇っている満開の桜を
明日見ようと思っていたが、夜半に嵐が来て
一瞬のうちに全部散ってしまった。
明日があると思ったことが、あだとなり残念で悔やまれる。
だからやるべきことは今やっておきたい。
親鸞が、わずか9歳の時に詠んだ句である。

母から聞いた話だが、母が子どもの頃、祖父がこの句を引用して、学校の宿題や
勉強など、やるべきことは後回しにしないで今やりなさい、と言われたそうだ。
たとえ今元気でいても、夜中に喘息や心臓の発作で死ぬかもしれない。
20年前の火砕流や、今回の大地震津波のように、明日どころか
一瞬先のことは分からない。
今あらためてこの親鸞の詩歌が光を放って切実に心に響き渡るようである。
それでも明日を信じて生きたいと願う。