2つの事件

群馬県榛名山連合赤軍の大量リンチ殺人事件があった前年にも、大量殺人事件があった。
1971年に起きた大久保清事件である。
大久保清(1935年〜1976年刑死)は、1971年3月31日から5月10日までのわずか41日間に、画家や教師を名乗って「絵のモデルになってほしい」と若い女性を誘惑し、関係を迫って抵抗されると即座に殺害した。17歳から21歳までの8人の女性が殺されて榛名湖周辺に埋められた。
私が連合赤軍事件についてお訪ねした丸岡和平氏は、この大久保清事件の捜査にも
協力したという。
丸岡氏の話によると、大久保清事件は婦女暴行殺人事件だったが、発掘された遺体は
8名全員が着衣のままで仰向けで埋葬された形で埋められているのが発見されたそうだ。
その翌年、連合赤軍によるリンチ事件のうち、榛名山アジトで8名が殺害された遺体は、男女とも全裸でしかも無造作に放り投げたような無残な状態であった。
群馬県警の捜査官も、こうした惨憺たる事態に、「森恒夫らは殺した仲間のことがよほど憎かったのか」と、その異常なまでの残忍性にかなりのショックを受けていたという。
永田洋子は当初この大久保清事件に興味を持ち、アジトの場所をあえて榛名山に決めたそうだ。大久保事件の翌年に連合赤軍大量リンチ殺人事件が起きた。

同じ榛名山で、犠牲者も同じく8名だった。何か深い因果のようなものを感じる。
丸岡さんは榛名山周辺の地理に詳しいため、群馬県警に事件現場周辺の情報や山道を案内して感謝されたそうだ。
榛名の地に愛着のある丸岡さんにとって、この榛名で2度にわたる大量殺人事件が起きたことは大変残念でやりきれない気持ちであったと、その胸中を察するに余りあることだ。