Stranger than fiction 検診の意味

Truth is always strange; Stranger than fiction. "Don Juan" by George G. Byron(1788〜1824)
「事実は常に奇遇だ。小説よりも奇遇なものだ」バイロン(『ドン・ジュアン』より)


私の友人が、くも膜下出血で倒れたとの知らせがあった。
幸い命は助かり後遺症もなさそうでよかった。
彼女は今までどこも悪いところはなくゴルフやテニスに興じる健康そのものの人なので、今回の知らせを聞いて非常に驚いている。
私などは年に一度の職場の検診では年を経るにつれて成績が悪くなり、不整脈高脂血症の傾向があるとかで総合評価が「C」とか「D」などの要経過観察を指摘され、決して褒められた話ではない。それでも今のところは無事だ。
検診でいつもオール「A」の友人が命にかかわる重病に見舞われ、検診結果が芳しくない私が元気にしているとは、検診などあてにならず、病気は突然襲いかかってくるものだと感じた。


しかし、画像診断では予期せぬ事実が分かることもある。
このブログを立ち上げるきっかけとなった私のかつての恋人と交わした最後の言葉を思い出す出来事があった。
彼は交通事故に遭い、内臓に深刻な損傷を受けた。
特に腎臓破裂の疑いがあった。
私は彼に、私の2つある腎臓の片方を移植して
2人で共有して生きて行こうと言った。
ところが彼は、そんなことをしたら私が死んでしまうからだめだと言って頑なに拒んだ。
私はまた明日話し合おうと思った。
しかし彼には明日はなかった。容体が急変して帰らぬ人となってしまった。
それから15年後、私は超音波診断による検査を受けた。
年齢の節目の人間ドックを気軽に受けた時だった。
その結果に愕然とした。私は先天的に腎臓が片側しかないことが判明した。
私のかつての恋人はまるで超音波診断装置のように体の中を見通す能力があって、
私には腎臓が1つしかないことを知っていたのだろうかと尋ねてみたくなった。
しかし彼はもうこの世にいないからその真意はわからない。
もし人間ドックを受診しなければ生涯この事実を知ることはなかっただろう。
まだ超音波診断が今ほど普及していない時代に彼が私に教えてくれた。
それが今生の別れとなるとは思いもよらないことだった。
何と奇遇で不可思議な事実であろうか。
まさしく「事実は小説よりも奇なり」である。
この言葉の主の詩人バイロンも、小説よりも奇遇な人生を地で行くような人だった。
バイロンは恋愛小説よりも恋多き人生を送ったが、最後はギリシャ独立戦争に身を投じ、戦地で病没した。36歳の劇的な生涯だった。