8月が来るたびに

8月が来るたびに戦争について考える機会が多くなる。日本は2度にわたる原爆投下の被害者という立場が重要視されているが、同時に加害者でもあった。
太平洋戦争で日本はオーストラリアとも戦った。
アメリカ同様オーストラリアも日本との戦争で初めて本土を攻撃された。
オーストラリア北部の都市ダーウィンは日本軍の空爆で3万人もの市民が犠牲になった。首都キャンベラの総合郵便局も日本の空襲から逃れるために急遽メルボルンへ移設した。
もう何年も前になるが、オーストラリアの海岸を散歩していたら、
ひとりの老人が話しかけてきた。それも流暢な日本語で話しかけてきた。
太平洋戦争で兵士として入隊した時、軍隊で日本語を習ったという。
その老人は日本語が分かるから、日本人留学生のホームステイも引き受けているそうだ。
戦争当時、敵と戦うために必死で日本語を覚えたのだろう。
しかし、今はかつての敵国の人間と、こうして笑顔で語り合える時代になった。
平和であることのありがたさと貴さを身にしみて感じたひと時だった。