2017年 秋

今年もまた秋が巡ってきた。彼岸を過ぎると日没が一気に早まってあっという間に日が暮れて焦ってしまいそうだ。
秋の彼岸の時期が来ると、例年通り寺岡恒一さんの墓参と寺岡さんのお母様にお会いしてお参りしたいと思う。
今年も彼岸を過ぎた今日になってしまった。
霊園の入り口には花壇があって、早くも秋の草花が綺麗な色どりを見せていた。
寺岡さんにお会いする前にはあらかじめ事件に関する記事などを読んで、この方は過去に重大な事件を背負った方なのだと心に留めて、私もその心情に寄り添いたいと思ってお会いしようとしているが、いざお会いすると、そこはやはり年の劫か、こちらの意向を見透かされているようで、事件のことは触れるべきではないと感じている。
事件当時は寺岡さんのお宅には警察や多くのマスコミ関係者が詰めかけたことであろうし、その後も度重なる裁判にも出廷されたことであろう。
裁判所で恒一さんを組織に引き入れ命までも奪った永田洋子坂口弘らと対面した時、どう思われたのだろうか、また、恒一さんも加害者として被疑者死亡の立場で裁かれたであろう。きっとつらくて何ともやりきれない思いが尽きない時期もあったと察するに余りある。
やはりつらい過去には触れないようにしたい。
恒一さんがまだご自宅にいらしたときのことをおたずねしようと心に決めていた。
恒一さんはご自宅の2階で学習塾を開いて近所の子供たちに勉強を教えていたことがあったそうだ。
そのあとをお父様が引き継いで長らく塾を開いていたそうだ。恒一さんのお父様は子供が好きだったそうで、夏になると庭で近所の子供たちと一緒にラジオ体操もしたという。
恒一さんのお父様にもご存命のうちにお会いしたかったと思った。
寺岡さんはご高齢のためあまり庭の手入れが難しくなったそうだがボランティアの方が雑草を除草してくださることになっているそうだ。
庭の柿の木には枝がしなるほど柿がたわわに実をつけていた。今年は柿の当たり年だという。
以前、連合赤軍の全体像を残す会のメンバーの方々とご一緒にお伺いした時も柿の当たり年で、会の皆様と一緒に柿を取らせていただいたことを思い出す。
あの時は恒一さんの魚拓の作品も見せていただけて思い出深い日であったと懐かしく思い出す。
あれからもう4年が経とうとしている。
秋の日差しの中で、何も語らずに故人を偲ぶこともできるのだと感じた。
ご遺族と共に故人を偲ぶ心を持ち続けていきたいと願った。

大河ドラマに想う(2)辞世の句

大河ドラマ『おんな城主直虎』で、高橋一生氏が演じた小野政次の祖先に、
和様書道家であり三蹟の一人である小野道風がいた。
小野家は代々この小野道風の書を伝えたのだろうと思う。
小野政次もきっとかなり達筆な人だったにちがいない。
大河ドラマで、政次が詠んだ辞世の句が映し出された。
筆跡には書き手の人となりが如実に映し出されるものだ。
書を見ればその人が男か女か、体調や心理状態までもが
手に取るように伝わってくる。
この辞世の句の筆跡からは、死を目前にした男の気迫が込められた書であることを感じさせる。
辞世の句の本文の書体は同じ三蹟の一人、
藤原佐理(ふじわらのすけまさ)を思わせる書風だが、最後の署名は小野道風の行書体のようだ。
この書の「け」や「む」、「つたふ」「らすや」などの仮名の筆致は、平安朝の古典「高野切(こうやぎれ)」などの古筆に見られる字体である。
また「楽し」のような漢字と仮名の連綿体は、相当古典の臨書をこなした人でなければ
到底書けない書法である。しかも「楽」は旧字体「樂」を流麗な行書で書きこなしている。
このような古典の筆跡に忠実な字が書ける人は、いったいどんな方なのか、
その筆致には若さも感じられるし、どこか強く心に惹かれるものがあった。
小野政次の遺墨なのか、あるいは政次になぞらえて書家が書いたものなのか、

そうだとしたらこれを書いたのは、かなりの実力派の書家とお見受けする。
是非ともどなたが書かれたのか、お名前を知りたいとNHKに問い合わせた。
そうしたらなんと、政次役を演じた高橋一生氏ご本人の筆だという。
高橋一生氏は小野政次役に徹するために血のにじむような努力をされたのであろう。
この1枚の辞世の句がそれを物語っている。
きっと小野政次役になりきるために古典の書体を相当臨書して学んで、
政次の心情に寄り添う決意が感じられる。
役どころの満身創痍の痛みをこらえて書いたような、とぎれがちの連綿体で。
実際、病気やケガで体調が悪い時に筆をとると、あの辞世の句の最後の「す」「や」のように左へ長く流れる字体になる。
高橋一生氏ご自身もきっと相当な書道の実力をお持ちの方だと思われる。
その書体全体から確固とした筆意が感じられるし、筆が紙の上を走る(筆が紙をきる)音まで聞こえてくるようにも感じられる。
それに人柄が偲ばれるような何とも言えない愛着のある筆跡でもある。
私もこの辞世の句を臨書してみたい。
しかし、しょせん私は女手だ。
このような、はっとするほどの気迫と強い決意のこもった男手の書には到底およばないだろうが、それもよかろう。
高橋一生氏が何を思って小野政次になり替わり、この辞世の句を書いたのか、
その心の琴線に触れてみたい。
役者はあの世から遣わされた賓客(まろうど)だ。前世と現世を繋ぐ役も果たす。
あの世の小野政次が、この世の高橋一生氏に「史実と真実の白黒もつけよう」と筆をとらせて辞世の句を書かせたようにも思えてくる。
これは正に小野政次の筆だと言えよう。
これだけの字が書ける人に、悪い人はいない。
久々に胸がすくような潔い筆跡を拝見させていただいた。
人の心に強烈な印象を与えるだけでなく、ずっと手元に置いて鑑賞したいと思わせるような愛着を感じさせる筆には一生かかっても出会える可能性はめったにない。
一生に一度で良いから自運でこのような、筆が紙をきる音まで感じさせる筆跡を残せたら素晴らしいと思う。

大河ドラマに想う 賓客(まろうど)

幕末の卑劣な暗殺集団としてさげすまれた新選組が、司馬遼太郎の『燃えよ剣』で
一躍脚光を浴びたり、安政の大獄で多くの有能な人材を弾圧して疎まれた井伊直弼が、NHK大河ドラマ花の生涯』でその人物評価が見直された。
小説やドラマで歴史上の人物が今までの史実と違った評価で注目されるのは
大変興味深い。
今年のNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の登場人物の小野政次が注目されている。
小野政次は史実では誹謗や讒言(ざんげん)など卑怯な手口で主君の城を奪った裏切者として斬首の刑になった。
ドラマでは磔の刑、しかも、とどめを刺したのは直虎だった。
尼僧である直虎が政次を槍で一突きにするなど到底ありえないことだし、女が男を一突きで殺すなど体力的に無理であろう。
もし仮にできたとしたら小野政次は即死だ。会話するいとまなどないはずだ。
こんな実際にありえないことばかりの内容だから視聴者に見放されてしまうのだ、との声も聞く。
しかしこれはあくまでもドラマである。
たとえ史実と違っていようとドラマで表現すれば心を打たれる素晴らしい作品になる。
逆賊として2人の息子共々斬首され、小野家から除籍され墓も無く、歴史上からも葬り去られた小野政次は、よほどの嫌われ者だ。
しかし大河ドラマで一気に注目の的となり、多くの人々の心を捉え魅了させる人物となった。それは、演じた俳優の功績があったからだ。

「俳優はあの世から遣わされた賓客(まろうど)」という。

史実では小野政次は逆臣だ。
しかしあの世で政次はこう言っていたかもしれない。
「おれはそんな男じゃない。釈明の場を与えてくれ」と。
それを作家が聞き入れて、この世の俳優、高橋一生(敬称略)を遣わせた。
そしてあの時代のあの場所で起きたであろう出来事を演じて、
政次になり替わった高橋一生に「おれを信じろ」と言わせている。
この大河ドラマでは、今までとは違った新しい解釈も見つかって、それを参考にしたとのことだ。
もしこのドラマが真実だとしたら、小野政次の逆臣の汚名が晴れて、本当は直虎のために身を挺して忠義を全うしたとも受け取れる。
高橋一生氏は小野政次役にはあまりにも端麗すぎると思っていたが、実際は演技とは思えない存在感で、まるで実物の小野政次がいるかのように思えてくるのが不思議だった。
高橋一生氏は政次役を演じている時に何度も「死んでもいい」と思ったそうだ。
それほど役に対する強い思いと意気込みがあったからこそ視聴者の心に強烈に響きあうものを感じさせたのだと思う。
きっと小野政次のことをいつも念頭にして役に徹してきたのであろうと想像した。
映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』で事件の落とし前をつけるために寺岡恒一役を演じた佐生有語氏が遣わされた賓客であったように、黒白(こくびゃく)をつけるために「あの世から遣わされた賓客」として高橋一生氏が前世と現世を繋ぐ役も果たすことができた。
今回、久々にこの言葉の意味を再認識したのは、このダイアリーを始めるきっかけとなった映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』以来のことである。

琥珀の町へ

十数年ぶりで叔母夫婦が住む岩手県の久慈へ行った。
この夏は雨が続いて、東京だけでなく岩手も8月は晴れの日が一日もないという。
それに気温が低くて肌寒いくらいに感じた。
それでも久しぶりで親戚に会えて、行ってよかったと思った。
久慈といえば琥珀の町。琥珀博物館に行ってみた。

あいにくの雨模様の日で寒かったが、
いろいろな琥珀の製品が見られているよかった。
久慈は東日本大震災で大津波が押し寄せたが、
まだ被害は少ないほうだった。
それよりも昨年の台風の水害のほうが、商店街の多くが水につかって被害が大きかったそうだ。
わずか2日だったが琥珀のような温かみを伴った懐かしく楽しい旅だった。
今度は晴れた日に海が見える場所にも行ってみたいと思った。

春の日に

今年もまた春のお彼岸が巡ってきた。お彼岸より少し遅れて月末に
例年通り今年も寺岡恒一さんのお母様にお会いしようと思った。
その前にお墓参りをした。
桜の開花を期待して、桜並木を通ってお墓参りができるのを楽しみにしていた。
しかし今年は寒さが長引いて、桜並木は枯れ枝状態だった。
それでもつぼみは随分膨らんで、あと1週間もすればきっと満開の桜が歩道を覆い尽くすだろうと思った。

そして昼過ぎにまた、いつもの通り寺岡さんにお会いするためにご自宅に向かった。
初めてお会いしてからもう9年もたつが、懐かしくて今までの日々が、いとおしく感じた。
この頃は、週に一度ヘルパーさんが来てくれるそうだ。
それにしても、ご高齢でありながらお一人で何もかも対応して、お元気で何よりだ。
ご自宅の庭に、春の花が咲いていた。
ご近所も歩いてみた。
機会があったらご近所のうどん屋さんにも行ってみたいと思った。
今までとは少し違った感慨深いものを感じた。
寺岡さんが、どうかいつまでもお元気でいらしてほしいと、心からそう願った。

岡目八目

囲碁の世界で「目(もく)」は、地の数や石の数を表す単位として使われる。

「岡目(おかめ)」とは遠くから見ている目という意味で「傍目」ともいう。
囲碁で対戦している2人は、勝負にこだわって自分の一手に集中しているが、その対戦を傍で見ている者のほうが八目(はちもく)も先の手が読めるものだ、という意味だ。

「岡目八目」はなにも囲碁に限ったことではない。
私もある意味で連合赤軍事件に関わった者だと思っている。
当然私はメンバーではないし、実際に起きた事件のことは後になるまで知らなかった。
しかし今まで見聞きした情報や、事件の関係者にお会いして感じたことや、それぞれの立場を鑑みて、自分なりに連合赤軍事件の当事者や犠牲者の気持ちを察することができないものかと思うことがよくある。
確かに私は部外者だ。部外者に何が分かるのか、と言われてしまえばそれまでだ。
それでも、岡目八目という言葉があるように、第三者の立場で事件に関係した当時の若者たちや、その時代背景や思想に思いを馳せていきたいと願っている。

読書の秋に想う

今は読書週間である。

本を読んでいると、言葉では言い表せない心のどこかで
「求める何か」を感じることがある。
この「求める何か」を感じる本は、いわゆる名作といわれている小説であったり、娯楽の分野である推理小説であったり、エッセイであったりと、本のジャンルは様々だ。
読者の心の中から沸き起こる何か求めたいものは、
作者の熱意や真剣な本心が読者にも伝わり感じ取れた時であり、同時に潔さも感じる。
その「何か」が現れ感じることができるのが読書の楽しみでもある。
それに反して本心を隠し通して偽りの口上を並べたような著書は、
無味無感で空虚なものだ。
連合赤軍事件の主犯者、永田洋子の著書を読むまでは、そんな本が存在するはずはないと思っていた。


連合赤軍事件に関する情報は、まずマスコミから得ようと思って国会図書館の各社の新聞記事を読んだ。
それから事件当時者であり最高責任者であった永田洋子の著書『十六の墓標』を読むことにした。
その本にはきっと、事件で行動を共にした仲間のことが描かれているに違いないし、
特に寺岡恒一さんが組織の中ではどんな人だったのか、どんないきさつで死に至らしめたのか、当事者の観点からうかがい知ることができないものかと思った。
その本の初めの頃は、永田洋子が活動家になって仲間との出会いが生き生きと描かれていた。
「金子さんたちが私にワンピースを買ってきてくれてすごくうれしかった」とか「行動を共にする仲間が増えて感動した」など、永田洋子はストレートに感情をあらわにする人だったのかと思った。
しかし事件の核心部分になると、最初の率直な表現から一変して、主犯者でありながら他人事のような無関心で味気なく、血が通っていない文章になっていった。
印旛沼事件に関しては「大槻さんと寺岡君が決めたこと」として「警察に密告されたら困るから仕方なく口封じをする形になってしまった」ような成り行きに流されたと語っている。
山岳ベースで仲間が凄惨なリンチの末に命を落とすことに至っては、永田洋子はただの成り行き任せの傍観者で、借りてきた猫のような表現ばかり書き連ねてあった。
特に進藤氏がリンチで亡くなったことに関しては「彼は死ぬために来たようなものだ」と書いている。
これが連合赤軍の最高指導者の言葉かと思わず文面を疑った。
他の仲間の最期の場面も「『総括』は森さんが先に言い出したことで、革命を遂行させるためには仕方がなかった」「私が手を下したわけではないから死刑は不当だ。リンチを止めなかった仲間も同罪だ」と、獄中自殺した森恒夫や命を奪った仲間に罪をなすりつけて、保身と責任転嫁に徹した文面が目立った。
「全ては僕と永田さんの責任です」と自白した森恒夫とは雲泥の差である。
永田洋子は事件について「なぜあんなことになってしまったのか」と何度も書いている。
そして「明るかった金子さんや大槻さん…寺岡君の白い顔…あの頃は皆でかりんとうを回して食べながら何でも意見を述べ合っていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか」と後悔の念を吐露している。
「森さんたちに翻弄されて、こんなことになった私も被害者だ」…これが彼女の本心なのか?
その本の文面からは、著者の血が通った真意が読み取れず、ただ単に自分を正当化するための目論見が見え隠れしているだけの空々しさしか感じられなかった。
ただし唯一永田洋子の素顔が感じられたのは、まだ一連のリンチ事件を起こす前の彼女が仲間たちと過ごした日々を素直な目で描いており、仲間がどんな人だったのか知ることができて興味深く感じたことであった。
深まる秋、この季節に永田洋子ら活動家は山岳ベースに向かって突っ走っていったのかと思いを馳せた。
「なぜあんなことになってしまったのか」…それは誰もが永田洋子に対して問いただしたかったことであり、決して「仕方がなかった」で終わらせてはならない事実であろう。
読後にこれほど何とも後味の悪さだけが残った本を読んだのは初めてのことだった。